2017年08月29日

第153回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



3 宇宙は一つです

私達は、それぞれに、自分の中に、宇宙を作ってまいりました。
自分独自の法を自分の中で作り、それに基づいて存在してきました。法だから、全ての点において、自分は正しいのです。何よりも自分の法が優先されていきます。
一つの小さな家庭においても、また地域社会においても、そして、広くは民族、国家間においても、それぞれの法を盾にして、それぞれが自己の立場を主張していきます。
それで、利害が一致している時は、物事は丸く収まっているようですが、ひとたびその均衡が崩れれば、戦いが起こります。当然です。両者は融和しているのではなく、互いに駆け引きの中にあるからです。そして、それぞれの法に則り、時には、相手を完膚なきまでに攻撃していく場合もあります。
私達は、そのようなことを、長い時間の中で繰り返してまいりました。
長い時間を経てきましたから、宇宙は一つだと伝えられても、にわかにそのことを信じることなどできなかったというのが、本当のところでした。
それどころか、私の宇宙は素晴らしいと、どれだけ抵抗してきたことか。自分が培ってきた世界を崩していくことに対して、徹底抗戦していく構えで、みんな肉をもらってくることを、私は、今世初めて心から知りました。
そして、自分自身の思いの根底を崩すことなくして、本当の宇宙は分からないことを知りました。そして、そういうことが、全く分からなかった私達ですから、苦しみ、狂い続けてきたのも当たり前のことでした。
しかし、まだ、今の段階では、自分独自の法を作ってきたことや、徹底抗戦している自分にさえも、全く気付けずに、相変わらず我一番の宇宙を広げ、闇のエネルギーを垂れ流しているというのが、殆どの人達の実情です。

確かに、人々は、我一番の意識の背景を抱えながら、日々の生活を過ごしています。戦いのエネルギーを、しっかりと心に蓄えながら存在しています。そして、自分の心を見ることをしないで、目の前の形の世界が本物だと思い、その世界で幸せを求め、繁栄を願っている状態です。
また、人は、波乱に富んだ一生であったとか、平々凡々な一生であったけれども幸せだったとか、そういうことは話題にするけれども、本当はその程度では、それぞれの人生の背景にまで、思いが届いていません。
いいえ、それぞれの人生の背景にある宇宙にまで、思いはなかなか届かないと、表現したほうが適切かもしれません。
では、人生の背景にある宇宙とは何でしょうか。それは、あなた自身の意識の世界のことです。
背景にある宇宙、つまり、自分自身の意識の世界が分からなければ、どのような人生であろうとも、本当は一様にして失敗なのだと、私は思っています。
ただ、それぞれが、自分の人生が失敗だったと認めることは、決して容易なことではないはずです。それは、自分を否定することになるからです。
しかし、背景にある意識の世界が変わってこそ、生まれてきた意義があるのです。
意識の世界が変わるとは、「私達、宇宙は一つでした」ということに、目覚めていくことを意味します。

このようにお伝えしても、「我一番の宇宙」とか、「闇」とかの表現もそうですが、今はまだまだ、一般的ではありません。
背景にある宇宙と、自分の今の生活とどう結びついてくるのかと、一笑に付されてしまうでしょう。
しかし、私は声を大にして、
「私達は宇宙でした。」
「私達の宇宙は一つでした。」
とお伝えします。
そして、その宇宙の中に、私達は、ずっと生かされて、受け入れられていたことを、これからも伝え続けます。
それが私の喜びです。たくさんの意識達が集ってきます。
苦しみ喘ぎながらも、真実の世界に触れたいという必死の思いに応えるべく、存在し続けていくことが、どれだけの喜びであるのかは、私自身、今世の肉を通して知るに至ったからです。




小さな中から、飛び出る勇気が、あなたには、ありますでしょうか? しっかりと心を見てください。
それでは、そのまま自分の宇宙に思いを向け、そして、ある程度時間がたてば、母なる宇宙を心に呼んでみてください。


posted by UTAブック at 22:39| 大阪 ☁| Comment(0) | 意識の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

第152回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



2 自分を生かすエネルギーの存在

宗教的な表現に、「私達は生かされている、許されている」というものがあります。この学びの中においても、そういう表現がされてきました。しかし、何によって生かされているのか、許されているのかということは、その言葉を耳にする人の心の世界によって、全く違います。
私自身は、私は自分に生かされ、許されていると、心で解釈しています。自分を生かすエネルギーの存在を確認しています。
つまり、「私」という存在を、肉の私は知っているのです。
私は消えても、「私」は消えないことを感じています。「私」はエネルギーだからです。
そのエネルギーによって、私は生かされているし、許されています。
また、私は「私」の仕事の妨げにならないように存在していくことを、喜びとしていることも感じています。私の喜びは、「私」の喜び、私の幸せは、「私」の幸せだと、そのように感じられるのです。
私はひとりではありません。いつも、「私」とあります。そして、私の心の中の隅から隅まで、奥底まで、「私」は知ってくれています。どんなに無様な私でも、「私」は心から、私を歓迎してくれています。
このようなパートナーは、他にありません。
私は、自分の人生の時間の中で、数々のパートナーを求め、また組んできました。そして、そのすべてが、失敗に終わりました。
どれだけの固い契りを交わしても、結局は、互いに裏切っていくことを、数知れず体験してきたのです。
もちろん、ここで言うパートナーとは、肉の人間だけではありません。
宗教の世界で使われている、いわゆる神、仏、宇宙のパワーも含めて、数々のパートナーを、私の心は求めてまいりました。
ようやく、今世の時間の中で、私のパートナーは、唯一、「私」であるという結論を、自分の中で見出せたのです。
「私」とは、まさしく私を生かすエネルギーでした。そうです、私は、「私」だったのです。

ところで、あなたは、これまでに、「お母さんに産んでいただいてよかった」と本当に思ってこられましたか。
また、自分を生かすエネルギーがあることを、日々の時間の中で、感じられたことがありますか。
あなた自身、自分を生かすエネルギーと出会うことができたなら、必ず、あなたの物の見方、考え方、価値基準は一変すると思います。ガラリと変わると思います。
もちろん、幸せの基準も喜びの基準も、変わってきます。
外からは、以前と何ら変わることはなくても、中は変わっています。いわゆる私の目と「私」の目で見る両方の世界を知っていくからです。
ある時期は、それが自分の中で混乱しますが、それもやがて、「私」の目から見る世界が本当の世界だと、自然に心で理解できるので、混乱はほんの一時期です。
それから、どんどんどんどん、本当の世界が心の領域を占めていきます。私の中にあった価値基準が、どんどんどんどん入れ替わっていくのです。
その作業を推し進めていく中において、私のパートナーは「私」であるとの結論に達すると思います。
「私」は、お母さんであり、母なる宇宙であることを知っていきます。
本当の幸せと喜び、温もり、安らぎを知った心には、肉だけのそれらのものが、どれだけ安っぽくて薄っぺらなものなのか、はっきりと感じられるのです。
肉は、人恋しさから人の温もりを求めていきます。
「心を癒してほしい、温もりに包まれたい、優しい言葉をください、優しくしてください」と縋っていきます。
助けを、救いを、そして、パワーを求めていきます。
しかし、それらのすべてが間違いだと分かってきます。
私が「私」を知らずに、存在してきた間違いを、「私」が私に、ずっと伝え続けてきてくれたことを思うにつけ、私は「私」に感謝しかありません。ありがとうの言葉と思いしかないのです。
そして、私は「私」を裏切り続けても、「私」は私を裏切ることもなかった、見限ることもなかったことを、私は、田池留吉氏という肉を通して知っていきました。
その意味において、田池留吉氏の肉は、私にとってなくてはならない存在でしたと、本当の「私」が私に伝えてくれました。



本当の私。偽物の私。そのどちらも心に抱えていま存在しています。肉の生活をしています。肉の中で本当の私に出会う、それは難しいけれども、それを私達は自分の中で約束してきました。
本当に約束してきたんです。その約束を思い出して、その約束を果たしていきましょう。この学びの主旨です。本当の私、本当の私とはどんな私なのか、自分の中でしっかりと出会っていく。これまでの数々の転生、すべて失敗でした。本当の私を全部全部捨てた自分がありました。すべての意識達、肉を持つ人間、その意識は本当に地に落ちてきました。地に落ちてきたからこそ、今、田池留吉を思う瞑想、アルバートを思う瞑想、母なる宇宙を思う瞑想、そして本当の私に出会えるんだと告げてくれたそのメッセージをしっかりと心に刻んで肉を持つ時間を過ごしてまいりましょう。

それでは最後にともに瞑想していきたいと思います。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
あなたは自分を生かすエネルギーの存在、本当の私の存在、どこまで信じておられますか? どうぞ瞑想をしてみてください。
posted by UTAブック at 21:40| 大阪 ☀| Comment(0) | 意識の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

第151回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



第3章 母なる宇宙

1 目を閉じてごらんなさい

何も思わずに、何も考えないで、目を閉じて時間を過ごすことができる喜びを知っていますか。
人間は、アンテナを張り巡らして、目が開いている間は、四六時中、情報を受け取ろうとします。つまり、自分の心はいつも外に向けられている状態です。それが生きている証なのかもしれませんが、心は忙しく動いています。
何かを思い、何かを考えて、そして、行動をする習性を持っている人間に、「何も思わないで」「何も考えないで」というのは、案外難しいことかもしれません。いつも、何かを思い、何か段取りを考えてしまいます。
「何も思わないで」「何も考えないで」というのは、一見生産性が低いように見受けられますが、自分の中に意識の転回が着々と進んでいけば、目を閉じて、すなわち五官を閉じて、真実の世界に思いを向ける瞑想という作業は、何よりも生産性の高いことなのだと、感じていくことができると思います。
生産性が高いというのは、プラスに作用していくエネルギーを流すということです。
真実の方向に、しっかりと針を合わせ、思いを向けていけば、自分が培ってきたマイナスのエネルギーも、真実の世界から来るエネルギーの中に、溶け合って、プラスに転じていきます。
つまり、いながらにして、仕事をしていることになります。それは、かなり生産性が高いということになるかと思います。
身体も心も、クルクルと独楽鼠のように動かして、一体どれだけのものを生産してきたのか、また、どのような質のものを生産してきたのか。目に見える世界がすべてだとしてきた私達は、大いに反省を促されるべきだと思います。
人間が、これまで築き上げてきたもの、有形、無形に関わらず、そのすべてを破壊し尽くすエネルギーと出会って初めて、自分達の目が覚めていくことだろうと思います。
そして、人間は、その時点で、本当の意味で何かを思い、何かを考えていくのではないでしょうか。
その崩壊は、半端ではありません。ことごとく崩壊していきます。
当然、小手先だけの、その場しのぎの対策などでは、どうしようもないと、はっきりと感じていくのです。
そして、やがて、何もできないことが分かってくるのです。
何もできないというのは、肉の人間として、何もできないということです。肉そのものに、そのようなパワーがあるはずがないからです。
しかし、一方で、肉を生かしていくパワーが、そこに存在することを知っていきます。
そのパワーの存在に気付くために、形を持ってきただけだったと、自らの秘めたるパワーを、心で感じていくのだと思います。
そのパワーの源は何か、それは、肉を外したところでしか分からないことも、自然に分かってきます。
目を閉じて、五官を閉じて、そして、本当の自分の存在に出会っていく、その過程を経ていくことが待ち望まれているのだと思います。



瞑想、心を中に向ける時間をゆったりとして持ちましょう。自分の外には何もありません。あると思うのは錯覚です。喜びも温もりも幸せも本当の生きる意味も、全部全部自分の中にありました。肉、形を基準とする心ではそれはわかりません。幸せも、喜びも儚く消えていくものだということ、それはみんな知っているけれど、この肉を持って生きている間、それを必死で求めていきます。それしかないと求めていきます。その愚かさに1日も早く気づいてまいりましょう。

それでは、軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてみてください。
私たちは、間違ったパワーを求めてきました。自分の外に、パワーを求めてきた心、その心、その思いに、少し触れてみてください。

ありがとうございました。
posted by UTAブック at 21:55| 大阪 ☀| Comment(0) | 意識の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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