2017年08月29日

第153回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



3 宇宙は一つです

私達は、それぞれに、自分の中に、宇宙を作ってまいりました。
自分独自の法を自分の中で作り、それに基づいて存在してきました。法だから、全ての点において、自分は正しいのです。何よりも自分の法が優先されていきます。
一つの小さな家庭においても、また地域社会においても、そして、広くは民族、国家間においても、それぞれの法を盾にして、それぞれが自己の立場を主張していきます。
それで、利害が一致している時は、物事は丸く収まっているようですが、ひとたびその均衡が崩れれば、戦いが起こります。当然です。両者は融和しているのではなく、互いに駆け引きの中にあるからです。そして、それぞれの法に則り、時には、相手を完膚なきまでに攻撃していく場合もあります。
私達は、そのようなことを、長い時間の中で繰り返してまいりました。
長い時間を経てきましたから、宇宙は一つだと伝えられても、にわかにそのことを信じることなどできなかったというのが、本当のところでした。
それどころか、私の宇宙は素晴らしいと、どれだけ抵抗してきたことか。自分が培ってきた世界を崩していくことに対して、徹底抗戦していく構えで、みんな肉をもらってくることを、私は、今世初めて心から知りました。
そして、自分自身の思いの根底を崩すことなくして、本当の宇宙は分からないことを知りました。そして、そういうことが、全く分からなかった私達ですから、苦しみ、狂い続けてきたのも当たり前のことでした。
しかし、まだ、今の段階では、自分独自の法を作ってきたことや、徹底抗戦している自分にさえも、全く気付けずに、相変わらず我一番の宇宙を広げ、闇のエネルギーを垂れ流しているというのが、殆どの人達の実情です。

確かに、人々は、我一番の意識の背景を抱えながら、日々の生活を過ごしています。戦いのエネルギーを、しっかりと心に蓄えながら存在しています。そして、自分の心を見ることをしないで、目の前の形の世界が本物だと思い、その世界で幸せを求め、繁栄を願っている状態です。
また、人は、波乱に富んだ一生であったとか、平々凡々な一生であったけれども幸せだったとか、そういうことは話題にするけれども、本当はその程度では、それぞれの人生の背景にまで、思いが届いていません。
いいえ、それぞれの人生の背景にある宇宙にまで、思いはなかなか届かないと、表現したほうが適切かもしれません。
では、人生の背景にある宇宙とは何でしょうか。それは、あなた自身の意識の世界のことです。
背景にある宇宙、つまり、自分自身の意識の世界が分からなければ、どのような人生であろうとも、本当は一様にして失敗なのだと、私は思っています。
ただ、それぞれが、自分の人生が失敗だったと認めることは、決して容易なことではないはずです。それは、自分を否定することになるからです。
しかし、背景にある意識の世界が変わってこそ、生まれてきた意義があるのです。
意識の世界が変わるとは、「私達、宇宙は一つでした」ということに、目覚めていくことを意味します。

このようにお伝えしても、「我一番の宇宙」とか、「闇」とかの表現もそうですが、今はまだまだ、一般的ではありません。
背景にある宇宙と、自分の今の生活とどう結びついてくるのかと、一笑に付されてしまうでしょう。
しかし、私は声を大にして、
「私達は宇宙でした。」
「私達の宇宙は一つでした。」
とお伝えします。
そして、その宇宙の中に、私達は、ずっと生かされて、受け入れられていたことを、これからも伝え続けます。
それが私の喜びです。たくさんの意識達が集ってきます。
苦しみ喘ぎながらも、真実の世界に触れたいという必死の思いに応えるべく、存在し続けていくことが、どれだけの喜びであるのかは、私自身、今世の肉を通して知るに至ったからです。




小さな中から、飛び出る勇気が、あなたには、ありますでしょうか? しっかりと心を見てください。
それでは、そのまま自分の宇宙に思いを向け、そして、ある程度時間がたてば、母なる宇宙を心に呼んでみてください。


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2017年08月27日

第152回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



2 自分を生かすエネルギーの存在

宗教的な表現に、「私達は生かされている、許されている」というものがあります。この学びの中においても、そういう表現がされてきました。しかし、何によって生かされているのか、許されているのかということは、その言葉を耳にする人の心の世界によって、全く違います。
私自身は、私は自分に生かされ、許されていると、心で解釈しています。自分を生かすエネルギーの存在を確認しています。
つまり、「私」という存在を、肉の私は知っているのです。
私は消えても、「私」は消えないことを感じています。「私」はエネルギーだからです。
そのエネルギーによって、私は生かされているし、許されています。
また、私は「私」の仕事の妨げにならないように存在していくことを、喜びとしていることも感じています。私の喜びは、「私」の喜び、私の幸せは、「私」の幸せだと、そのように感じられるのです。
私はひとりではありません。いつも、「私」とあります。そして、私の心の中の隅から隅まで、奥底まで、「私」は知ってくれています。どんなに無様な私でも、「私」は心から、私を歓迎してくれています。
このようなパートナーは、他にありません。
私は、自分の人生の時間の中で、数々のパートナーを求め、また組んできました。そして、そのすべてが、失敗に終わりました。
どれだけの固い契りを交わしても、結局は、互いに裏切っていくことを、数知れず体験してきたのです。
もちろん、ここで言うパートナーとは、肉の人間だけではありません。
宗教の世界で使われている、いわゆる神、仏、宇宙のパワーも含めて、数々のパートナーを、私の心は求めてまいりました。
ようやく、今世の時間の中で、私のパートナーは、唯一、「私」であるという結論を、自分の中で見出せたのです。
「私」とは、まさしく私を生かすエネルギーでした。そうです、私は、「私」だったのです。

ところで、あなたは、これまでに、「お母さんに産んでいただいてよかった」と本当に思ってこられましたか。
また、自分を生かすエネルギーがあることを、日々の時間の中で、感じられたことがありますか。
あなた自身、自分を生かすエネルギーと出会うことができたなら、必ず、あなたの物の見方、考え方、価値基準は一変すると思います。ガラリと変わると思います。
もちろん、幸せの基準も喜びの基準も、変わってきます。
外からは、以前と何ら変わることはなくても、中は変わっています。いわゆる私の目と「私」の目で見る両方の世界を知っていくからです。
ある時期は、それが自分の中で混乱しますが、それもやがて、「私」の目から見る世界が本当の世界だと、自然に心で理解できるので、混乱はほんの一時期です。
それから、どんどんどんどん、本当の世界が心の領域を占めていきます。私の中にあった価値基準が、どんどんどんどん入れ替わっていくのです。
その作業を推し進めていく中において、私のパートナーは「私」であるとの結論に達すると思います。
「私」は、お母さんであり、母なる宇宙であることを知っていきます。
本当の幸せと喜び、温もり、安らぎを知った心には、肉だけのそれらのものが、どれだけ安っぽくて薄っぺらなものなのか、はっきりと感じられるのです。
肉は、人恋しさから人の温もりを求めていきます。
「心を癒してほしい、温もりに包まれたい、優しい言葉をください、優しくしてください」と縋っていきます。
助けを、救いを、そして、パワーを求めていきます。
しかし、それらのすべてが間違いだと分かってきます。
私が「私」を知らずに、存在してきた間違いを、「私」が私に、ずっと伝え続けてきてくれたことを思うにつけ、私は「私」に感謝しかありません。ありがとうの言葉と思いしかないのです。
そして、私は「私」を裏切り続けても、「私」は私を裏切ることもなかった、見限ることもなかったことを、私は、田池留吉氏という肉を通して知っていきました。
その意味において、田池留吉氏の肉は、私にとってなくてはならない存在でしたと、本当の「私」が私に伝えてくれました。



本当の私。偽物の私。そのどちらも心に抱えていま存在しています。肉の生活をしています。肉の中で本当の私に出会う、それは難しいけれども、それを私達は自分の中で約束してきました。
本当に約束してきたんです。その約束を思い出して、その約束を果たしていきましょう。この学びの主旨です。本当の私、本当の私とはどんな私なのか、自分の中でしっかりと出会っていく。これまでの数々の転生、すべて失敗でした。本当の私を全部全部捨てた自分がありました。すべての意識達、肉を持つ人間、その意識は本当に地に落ちてきました。地に落ちてきたからこそ、今、田池留吉を思う瞑想、アルバートを思う瞑想、母なる宇宙を思う瞑想、そして本当の私に出会えるんだと告げてくれたそのメッセージをしっかりと心に刻んで肉を持つ時間を過ごしてまいりましょう。

それでは最後にともに瞑想していきたいと思います。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
あなたは自分を生かすエネルギーの存在、本当の私の存在、どこまで信じておられますか? どうぞ瞑想をしてみてください。
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2017年08月24日

第151回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



第3章 母なる宇宙

1 目を閉じてごらんなさい

何も思わずに、何も考えないで、目を閉じて時間を過ごすことができる喜びを知っていますか。
人間は、アンテナを張り巡らして、目が開いている間は、四六時中、情報を受け取ろうとします。つまり、自分の心はいつも外に向けられている状態です。それが生きている証なのかもしれませんが、心は忙しく動いています。
何かを思い、何かを考えて、そして、行動をする習性を持っている人間に、「何も思わないで」「何も考えないで」というのは、案外難しいことかもしれません。いつも、何かを思い、何か段取りを考えてしまいます。
「何も思わないで」「何も考えないで」というのは、一見生産性が低いように見受けられますが、自分の中に意識の転回が着々と進んでいけば、目を閉じて、すなわち五官を閉じて、真実の世界に思いを向ける瞑想という作業は、何よりも生産性の高いことなのだと、感じていくことができると思います。
生産性が高いというのは、プラスに作用していくエネルギーを流すということです。
真実の方向に、しっかりと針を合わせ、思いを向けていけば、自分が培ってきたマイナスのエネルギーも、真実の世界から来るエネルギーの中に、溶け合って、プラスに転じていきます。
つまり、いながらにして、仕事をしていることになります。それは、かなり生産性が高いということになるかと思います。
身体も心も、クルクルと独楽鼠のように動かして、一体どれだけのものを生産してきたのか、また、どのような質のものを生産してきたのか。目に見える世界がすべてだとしてきた私達は、大いに反省を促されるべきだと思います。
人間が、これまで築き上げてきたもの、有形、無形に関わらず、そのすべてを破壊し尽くすエネルギーと出会って初めて、自分達の目が覚めていくことだろうと思います。
そして、人間は、その時点で、本当の意味で何かを思い、何かを考えていくのではないでしょうか。
その崩壊は、半端ではありません。ことごとく崩壊していきます。
当然、小手先だけの、その場しのぎの対策などでは、どうしようもないと、はっきりと感じていくのです。
そして、やがて、何もできないことが分かってくるのです。
何もできないというのは、肉の人間として、何もできないということです。肉そのものに、そのようなパワーがあるはずがないからです。
しかし、一方で、肉を生かしていくパワーが、そこに存在することを知っていきます。
そのパワーの存在に気付くために、形を持ってきただけだったと、自らの秘めたるパワーを、心で感じていくのだと思います。
そのパワーの源は何か、それは、肉を外したところでしか分からないことも、自然に分かってきます。
目を閉じて、五官を閉じて、そして、本当の自分の存在に出会っていく、その過程を経ていくことが待ち望まれているのだと思います。



瞑想、心を中に向ける時間をゆったりとして持ちましょう。自分の外には何もありません。あると思うのは錯覚です。喜びも温もりも幸せも本当の生きる意味も、全部全部自分の中にありました。肉、形を基準とする心ではそれはわかりません。幸せも、喜びも儚く消えていくものだということ、それはみんな知っているけれど、この肉を持って生きている間、それを必死で求めていきます。それしかないと求めていきます。その愚かさに1日も早く気づいてまいりましょう。

それでは、軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてみてください。
私たちは、間違ったパワーを求めてきました。自分の外に、パワーを求めてきた心、その心、その思いに、少し触れてみてください。

ありがとうございました。
posted by UTAブック at 21:55| 大阪 ☀| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

第150回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



7 人生は、自分の計画通りです

人生は、自分で立案して、自ら構想を練ったものです。その中に、自分に伝えたいメッセージを織り込んでいきます。
「本当の自分のために生きなさい。」
修飾部分を、全部取り去ってしまえば、そのメッセージが浮かび上がってきます。
「ああ、そうだったのか。そう思えば、あれもこれも、辻褄が合ってくる。」
自分の来し方を振り返り、そう感じる人も、これから多く出てくると思います。
その一方で、「私は、自分にこのようなシナリオを書くはずがない」と、どうしても納得できない人もまだまだ多いでしょう。
それは、「なぜ、苦しみ多い人生を、自ら選んでいくのか。自分で立案して、自ら構想を練るならば、もっと楽なものにするはずだ」ということなのだと思います。
何を喜びとして、何に幸せを感じるかによって、それぞれの人生も、とらえ方は分かれていきます。さらに言えば、自分を肉として見るか、意識の自分を中心にとらえていくかで、それぞれの生きる方向が決定されていきます。
結局、「苦しみ多い人生とは何でしょうか。楽な人生とは、一体何でしょうか。そのすべてが、形を中心にとらえているのではないでしょうか」ということだと思います。
自分を意識、心、エネルギーとして見ていけば、人生の中で起こることすべてが、自分を知っていくチャンスであり、苦しみも楽しみも、みんな喜びとなっていくと思います。

ところで、天変地異も、自分で書いたシナリオだと伝えました。
天変地異とは、一般的には、自然災害を指しますが、「ある日突然」という意味からすれば、どなたの人生の中にも、天変地異の一つ、二つは、用意されているかと思います。
本当は、それは、ある日突然ではなくて、そして、寝耳に水でもなくて、きちんと計算されて、起こるべくして起こってくる出来事なのでしょう。
どういう状況の中で、その出来事が引き出されていくのかは、私達の肉で推し量ることはできませんが、自分自身、その出来事によって、何かを考え、何かに気付いていくことを予定していることは、確かなことだと言えると思います。
ただ、心を見る、自分の中に思いを向けることを知らない状態では、気付きが喜びであり、喜びであるからこそ、その喜びが自分を解き放していくんだというところまでには、到底至らないと思います。
「自分が作ってきたちっぽけな枠の中から、飛び出していく喜びを、心から味わっていきましょう。」
その願いを込めて、それぞれの人生を用意してきたのではないでしょうか。
このことを理解するには、なかなか難しいとは思いますが、私自身は、「はい、その通りです」と答えます。
私は、ちっぽけな枠の中に押し込んできた自分自身に、申し訳なく思ってきました。
肉として生きることが、本当に愚かだということを感じる一方で、自分で立案し、構想を練ってきた人生というシナリオを通して、意識の世界の緻密さを感じてきました。
すごいなあと思わざるを得ませんでした。
自分が自分に与えた肉の時間を、どのようにして生きていくのかが、最大のポイントだと思います。
世間に流されて、無難に生きていく生き方が、自分が本当に切望してきた生き方なのでしょうか。
「逆流して生きよ」という意味ではなく、絶えず本来の自分に戻って、その自分の目線から、自分の存在、その他あらゆるものを見ていく姿勢が大事なのではないでしょうか。
その本来の自分の目線というものを、肉を携えている時間の中で、試行錯誤をしながら育んでいくべきなのだと思います。
だから、試行錯誤をする過程で、「ある日突然」の天変地異に遭遇して、その目線を変えるという計画が、それぞれにあるのだと思います。
目線を変えるということは、自分の人生観がガラリと変わることに繋がっていきます。
天変地異とは、それほどの衝撃を、自分にもたらすのです。

「ある日突然」の天変地異によって、自分は間違っていましたと心から思えるから、天変地異なのです。
気付きも何もなければ、形の上から見れば天変地異であっても、その人にとっては、実は天変地異になり得なかったということだと思います。
そして、その人の中に、今度こそ変わっていこうという思いがあれば、再び、天変地異のシナリオを予定していきます。
すべては、その人の意識の世界が計画していくものなのです。

さて、次章では、さらに母なる宇宙へ、ともに思いを向けて語らせていただきたいと思います。



ということで、ここ何日かで、第二章 天変地異、連続して1から7、読ませていただきました。
天変地異はエネルギー。温もりに帰ろう、喜びに帰ろう、母なる宇宙に帰ってきなさいというメッセージが自らにいざなう愛のエネルギーです。
天変地異はUFOも大きく関わっています。たくさんのたくさんの宇宙にさまようUFO達の意識を心にしっかりと受け止めて、しっかりと帰っていこうと伝え合うこと、愛の中で伝え合うことが私達には待ち望まれています。
たくさんのUFO達が飛来してきます。飛来というと形からは自分の外からという意味ですが、外からという風に聞こえますが、そうではなく自分の中、
意識の世界のお話です。それもこれも自分の心をみて、しっかりと田池留吉、アルバートのほうに、母なる宇宙のほうに心の針を向けるということを日々真摯な思いで継続していくこと、そのことを通して、自分の心で感じわかってくることだと思います。目に見えない意識の世界、真実の波動は頭ではもちろん理解できません。自分の心で感じていく以外にありません。自分の心で感じたもの信じていく、そしてその結果をまた受けていく、そこからまた自分の歩みを田池留吉、アルバートの方向に、半歩、一歩、前に前に歩みを進めていく、という喜び、幸せ、その道をともに歩いてまいりましょう。

それでは最後にともに瞑想をしてまいりたいと思います。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
天変地異は私達の心の中に起こってくる大きな大きなエネルギーです。そのエネルギーの中で、私達は一体自分に何を伝えるのでしょうか。何を伝えられるのでしょうか。

どうぞ、その思い、そのエネルギー、しっかりと自分の心で受け止められるような、あなたであってください。
母なる宇宙が待っています。私たちの心のふるさと、母なる宇宙、愛の中へ戻ってまいりましょう。
それでは、愛、心のふるさと、母なる宇宙へ、心を向けてみてください。
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第149回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-




6 手立ては一つ

人類には、
「自分を自分で救う。」
「自分に本当のことを伝える。」
その手立てしか残されていません。
自分で自分を救えない人々(意識)は、永遠に地獄です。救えないというのは、自分に本当のことが伝えられない状態を言います。
自分の本当の姿が分からない、自分が何者なのかが分からないから、自分に本当のことが伝えられないのです。
肉を纏っている間、どんなに栄耀栄華を極めようとも、自分が何者かが分からない状態では、その人は、現に地獄にいるのです。
肉というものを持っているから、そして、その世界に酔いしれているから、自分自身は麻痺した状態なのです。肉を外した時、その麻痺状態も薄くなっていくので、はっきりと自分の今いる場を感じてきます。
肉を持っている間は鈍感な心も、死んでしまえば、たちまち敏感になっていきます。
そうすれば、一気に重苦しさが自分自身を覆い尽くす結果となって、もう身動き一つとれない固まった状態になっていきます。ただ苦しくて、がんじがらめの自分自身がたくさんあって、その中で、もがき苦しんでいる自分の姿を、はっきりと知るのです。それが紛れもなく、自分自身だったことを感じます。真実を見失った意識は、そのような状態です。
自分を救うことをしなければ、生きても地獄、死んでも地獄です。ただ肉を持っているか、持っていないかの違いだけです。
そして、悲しいことに、肉を持つことによって、その苦しい心を紛らわせていく手段は、山ほどあるのです。だから、殆どの人が、肉を持っている間、自分の本当の苦しみなど分かるはずがないのです。
現に、自分が苦しいと訴えている人でさえ、本当の苦しみに出会っている人は稀です。なぜならば、殆どの人が、自分の心を見ることを知らないからです。
ただ、苦しい、苦しいと助けを求めているか、そこから逃げようとするばかりです。その状態から助けを求めようとも、どこかへ逃げ込もうとしても、どうなるものでもないことが、全く分からないのです。

私には、恐怖心を煽り立てるような思いはありません。きちんと自分の心を見ていけば、そういう状態の自分自身であったことが、鮮明に心に浮かび上がってきて、だからこそ、今、肉がある間というのが、自分自身にとって、どれほどありがたいことなのか。お母さんに産んでいただいたことが、どれだけの愛であったのか。そのようなことが、心にどんどん響いてくるはずです。
はっきりと、自分の成すべきことが見えてきます。
苦しんできたのは、紛れもなく自分自身であり、その自分が、今、救いを求めていることを感じます。その声は、日ごとに大きくなっていくでしょう。
しかし、愚かな肉は、相変わらず、肉の幸せと喜びに奔走する毎日を送り続け、そして、やがて自分の死を迎えるのです。その周期がこれから、少しずつ短くなっていくと思います。自らに警笛を鳴らし続け、内外から、天変地異を呼び起こしていくのだと思います。それほどの切羽詰った状態です。実は、もう限界ぎりぎりのところです。
その切迫した思い、気配を、まだあなたは感じられないでしょうか。
しかし、何も焦ることはありません。浮き足立つこともありません。ゆったりとして、淡々として、自分の心を見ることだけは、日々怠らずに続けていけば、いざという時も、そして、これから起こってくる様々な現象も、真正面から受け止めていけるのではないでしょうか。

自分にとって、自分を見失うことが、一番大変で、一番苦しいことです。ただ、殆どの人は、自分を見失うどころか、自分というものを全く知らない状態です。そのような状態で、ある日突然、天変地異の波をもろにかぶっていけば、どうなるのでしょうか。
おそらく、その波の渦の中に飲み込まれて、肉の命は言うまでもなく、自分自身の意識の世界もまた、これまでと同じように、渦の彼方に遠く飲み込まれていくのでしょう。
これからは、その瞬間に、心の針を合わす勉強をされる人も出てくると思いますが、いずれにしても、「自分で自分を救う」、そして、「自分に本当のことを伝える」チャンスは、すべてに公平に用意されてきましたし、これからも、もちろん、そうなのです。
いつ、そのチャンスを活かすことができるのか。あるいは、永遠に地獄の奥底で苦しみ続けていくのか。その選択を自分でしなさいというのが、本当の世界の真実であると、私は伝えます。



真実の世界は非常に厳しいです。真実だからこそ、厳しいです。厳しいですけども優しいんですね。その優しいということを本当に感じられれば、いいと思いますけど、ただ、厳しいだけではなく優しいということです。優しいというのは真実だからです。しっかりと力強いいざない、それは厳しさであり、優しさであると私は感じています。
自分で自分を救う、自分に本当のことを伝えるチャンス。そのチャンスをいつやってくるかはわかりません。そのチャンスを逃さないようにするには、やはり日々の鍛錬というか、心の針の向け先をいつも確認している、いつも田池留吉を思っている、そういうことが日常的でなければ、あ、あ、と言っている間にやはり濁流の中に飲み込まれていく、流されていく、沈んでいく、そういうことではないでしょうか。

では、今日も最後にともに瞑想をさせていただきます。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
あなたの死後を思ってください。
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2017年08月17日

第148回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



5 UFO

人類は、これから未曾有の体験をしていきますが、そのことについて、UFOという存在も大きく関わってきます。
UFOについては、今の時点では、一部のSFファンか、そのあたりの人達の中においては、関心があると思いますが、広く一般には、まだまだ映画か小説の世界のことのように考えられています。
しかし、UFOは実在することを、ここでしっかりと語らせていただきたいと思います。
ただし、「UFO=宇宙人」という意味ではありません。
「UFO=宇宙人」という発想は、文字通り、映画や小説の世界の話です。ここで言うUFOとは、そうではありません。
宇宙人という発想からは、私達がお伝えしようとしているUFOは、間違ってとらえられてしまう恐れがあります。
だから、UFOが地球人を連れ去るとか、地球に攻撃してくるとか、あるいは逆に友好的な関係を求めてくるとか、それぞれの憶測の中で、想像の世界を膨らませていきます。いたずらに興味をそそっていく傾向にあるのだと思います。

ところで、あなたはミステリーサークルという言葉をどこかで見たり聞いたりしたことがありますか。
麦畑のような穀物畑の穂が、円形状(サークル)に倒されて、それが幾何学的な模様に見えるとかそういう現象です。そこには、必ずUFOが登場してきて、「それはUFOの仕業か?」という「?」付で紹介されています。
また、UFOと言えば、一般的には未確認飛行物体ということで、超常現象、怪奇現象として紹介されている映像もあります。
そこで、私は、それらの現象とか映像に意識を向けてみました。UFOの意識に心を向けてみます。
おそらく、私が心に感じていることをUFOの意識は語ってくると思います。

UFOとは、これまでに語っているように意識の世界のことです。
UFOには形がありません。「UFO=宇宙人」という発想からは、宇宙人、つまり、人だから、UFOというのは自分達人間のように、何か形を持っているという発想になるのが自然なことかと思います。
だから、地球人類ではない宇宙人ですね、そういう宇宙人が宇宙船に乗って、知らない間にこの地上に幾何学的な模様の奇妙な現象を残していった、そういうふうに、SF映画のような世界を想像しておられる方もいるでしょう。
しかし、あれは単なる自然発生的なものであると言えます。もちろん、そこには作為的な場合もあります。
いわゆる宇宙人というものは存在しません。映画の中のような宇宙人というものは存在しません。従って、そこに現れた現象、幾何学的な模様は、何かしら自然現象が起こった結果、そういうふうな形に見てとれる、あるいは、それを撮影した人達の作為という場合もあるのではないでしょうか。
とにかく、一部で伝えられている宇宙人が宇宙船に乗って、この地球上にそういうものを残していくというSF映画さながらのようなことは、現実にはあり得ないことです。
UFOというのは、形がないんですから、そういうものを形で残すということがあり得ないんです。しかし、現実、写真でも紹介されているように、奇妙な形がそこに残っています。しかし、やはりそれは自然発生的なもの、あるいは作為的なものと言えるでしょう。
いわゆるUFOというものが関係しているのでなくて、何かしら人間の作為的な行動と自然現象とが重なって出来上がったもの、そういうふうに考えるほうが自然です。

本当はそういうことはどうでもよくて、それよりも、そんな映像や写真の類に惑わされずに、UFOを心に思い描くあなたの心の中を見つめていくこと、そして、感じていくことが、とても大切なことなんです。
UFOはあなたの心の投影です。UFOは存在します。しかし、人類のように肉という形を持つUFOというものは存在しません。この点は、しっかりと押さえておいてください。
UFOは、意識、エネルギーです。UFOは、肉という形を持たない意識、エネルギーです。
その意識、エネルギーと心に通じ合う部分があなたの心の中にあります。その部分を、あなたの心の中をしっかりと見つめることによって、あなた自身がその意識、エネルギーに優しく語りかけられる。そういうあなたの心の成長のほうが、とても大切なことなんです。
UFOを見たとか、あの不思議な現象は何だとか、興味津々で思いを向けるだけでは、全くあなたの中は何も変わらず、何も分からないままです。
UFOの苦しみ、悲しみ、寂しさ、彷徨い続けてきた心、そのような意識の世界は、今のあなたと決して無縁なものではありません。だから、そういうものをしっかりと受け止められるあなたであってくださいということなんです。あなたの中の温もりとUFOの中の温もり、一つになってともに帰ろう、そういうふうな呼びかけをすることが、UFO達が望んでいることなんです。
心を中に向ける。外ではなく、心を中に向けて、UFOをあなたの中で呼んでいく。それがとても大切なことだと思います。
繰り返します。UFOとは、紛れもなく波動の世界のことです。形はありません。人類のように形を持っているのではありません。
しかし、そのUFO達が、つまり、宇宙に彷徨い続けている意識達が、これから人類の心に通信してきます。
今までもそのような波動というか、通信を受けて、宇宙からのメッセージであるとか、宇宙と交信しているとか、そのような類の話を聞かれた人もあると思います。しかし、果たして、そこでは、その通信や交信を波動としてとらえていたかどうかは、疑問です。
内容は、興味をそそるようなものであるかもしれませんが、その波動は、恐怖心を煽り立てるようなものだったり、あるいは、宇宙からのパワーに従えという我一番の波動だったりするかもしれません。
そのような波動の世界は、思いを向けていった人の心の中に「宇宙は偉大なるもの、宇宙のパワーこそ素晴らしい」といった宇宙にひれ伏す思いを、どんどんと膨らませていきます。特に、自分の心を見ることを知らない人が、UFOに思いを向けていけば、殆どの人がその中に、はまってしまいます。そして、宇宙のパワーにひれ伏しながら、己を表していくのです。なぜならば、自分の中に、我一番の宇宙がすでにあって、そのこととぴったりと合致していくからです。
そして、「私が心に受けている宇宙は、まさに神である」という思いが、その肉を使っていきます。その波動は、まさしくブラックパワーでしょう。
そこには母の波動である温もりと優しさ、安らぎが感じられないからです。しかし、その中にはまり込んでしまえば、そのことがなかなか分からないと思います。
だから、宇宙のパワーを求めてきた人は大変です。その呪縛から、自分を解き放していくことは、並大抵ではありません。大抵、顕示欲が強いのです。UFOを自分を表していく手段にしていこうとする思いが、根底に流れています。
そして、顕示欲が強ければ、UFOが語ってくるといっても、UFOの本当の思いを感じていくことはできないと思います。
UFOを受け入れていこうとする優しさよりも、UFOのことが知りたいという思いが強いからです。それでは、UFOの心と通じ合うことはできません。
心に受け入れることを拒否しながら、UFOと交信していきたいとすることが、どういうことなのか分かりますか。
それは、自分に対して冷たいのです。それが分かりますか。ここが、最も重要なポイントだと思います。
宇宙に彷徨うUFO達の意識は、みんな自分自身の心と通じています。しかし、その自覚がない人が多いのです。
そのことをおざなりにして、宇宙に、そして、UFOに思いを向けていけば、どういうふうになっていくかは歴然としています。受け入れを拒みながら、ただ欲で、あるいは興味本位で思いを向けていけば、自分自身が狂うだけです。
それはUFOが狂わせたのではなくて、狂う要素が自分の中に、すでにあった。つまり、自分に優しくないという証です。
このように、母の波動を心に復活しないまま、思いを向けていくことは、大変危険なことです。しかし、宇宙に彷徨う意識達は、受け入れてくれることを待っています。だから、これから、人類の心に、交信が頻繁に行われるだろうと思います。
UFOは、非日常のものではなく、私達の生活の中に、日常化してくると思います。
自分の心が受け入れるだけの準備をきちんとしていなければ、苦しいだけです。思いを向ければ向けるほど、苦しくてたまらないでしょう。
そういう意味において、これからの時代は、ますます訳の分からない事態が勃発していきます。奇怪な行動を起こす人が出てくると思います。その原因解明は無理です。もっとも、UFOの心を聞いてあげられる優しさがあれば、話は別ですが……。

再度、確認しておきます。UFOには、形はありません。波動、思い、エネルギーです。




UFO。UFOに思いを向ける瞑想、大切なことはわかっていますけども、その前にあなたの心の中に母の温もりが確立しているかどうか、あなたの中が本当にUFOとともに歩んでいこうとする優しさに満ち満ちているか、そのことをまずしっかりと確認してください。それでなければ、自分で自分の首を絞めていくようなものです。
UFOはすごいエネルギーなんです。ということは、あなたもすごいエネルギー。そのエネルギーを本当に温もりの中へ返していこう、温もりの中へ吸収していこう、愛の中へ帰っていこうという思いが育っていなければ……というところが問題点なんです。
ですが、UFOに向ける瞑想、自分の中に母の温もりの確立があれば、宇宙を思う瞑想、そしてUFOを呼んでみてください。
確認しておきます。UFOには形はありません。UFO=宇宙人、宇宙人、形ではないです。UFOは波動、思い、エネルギーです。その、波動、思い、エネルギーを自分の心、あなたの心でししっかりと聞いてあげてください。しっかりと受け止めてあげてください。

それでは、そうですね。UFOのほうに、思いを向けてみたいと思いますが、まずは、軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。そして、しっかりとお母さんのほうに心を向けて、お母さんを素直に呼べるかどうか、自分の心で確認してから、UFOに思いを向けてみてください。
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2017年08月16日

第147回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-




3 宇宙からのメッセージの最たるものは、天変地異です

天変地異という流れは、決して避けて通れないものです。
それは、母なる宇宙の波動に触れた意識の目覚めがあったからです。
天変地異は、私達の中の宇宙が起こしていくものです。
だから、私達の中が目覚めていけばいくほど、その呼び声は力強いものになってきます。目覚めは喜びです。宇宙が喜びの渦の中で、今か今かのゴーサインを待っています。
その喜びが、どの程度のものであるかという一例に、地軸の傾きを変えていくほどのエネルギーと表現できるかもしれません。
それは、人智の及ぶ範囲を逸脱しています。何もかもすべてを捨てて、自分に委ねていくしかありません。
もちろん、自分に委ねていくといっても、今の形ある自分に委ねていくことではありません。そもそも、そのようなことができるはずはないのです。
肉というものは、一様にして愚かなものです。また、肉というのは形であり、形というものは、いずれ消えていくものです。消え去っていくものに委ねることはできません。
そうではなくて、消え去る形から思いを離し、自分は厳然として存在していることを心で知ったときに、委ねていくことができる自分というものが、大きく自分の中に広がっていきます。
すなわち、その広がりの中に、天変地異もまた同化していくのではないでしょうか。
すべてが一つとなって、次元移行をしていく瞬間だと思います。
宇宙とともに、喜びとともに、そして、天変地異とともに次元移行をしていきます。


4 天変地異はエネルギーです

一般的には、天変地異というのは、自然災害と考えられています。
地震、台風、ハリケーン、洪水、津波、干ばつ、大雪、竜巻、等々、みんな私達の生活を脅かすものです。
生活空間を奪い、人の命を奪い、不自由な生活を強いられます。私達にとっては、何一ついいことはありません。
また、特に最近は、記録的な豪雨や積雪、猛暑や、これまでに経験したことがないと口走るような自然現象が、日本の国においても起こってきています。しかし、それが何を示しているのだろうかと、気に留める人は少ないと思います。
地震にしても、頻繁に起こってくると、少々の揺れでは、あまり騒ぎ立てません。また、今日もどこかで地震が起こっているという程度に留めてしまいます。
「記録的な数字」「考えられないことが起きる」「頻繁に起きる」、それらはみんなある一定の方向を、私達に示しているのです。
それらは、これから起こってくる天変地異の前触れだと、私達に示しているのだと思います。
天変地異は、これからです。
日本でも世界各地においても、その兆しはすでに現れてきていますが、それは文字通り、「兆し」であり、天変地異のエネルギーは、その程度のものではありません。
さて、そこで問題となるのは、
「天変地異のエネルギーをどのように感じていくか。」
ということだと思います。
前述した通り、天変地異は私達から、生命と財産を奪っていくものです。情け容赦なく奪い取ってしまう天変地異を、どのように心は受け止めていくのでしょうか。
真実を知らない人(意識)は、やはり天変地異を呪っていくでしょう。
天を呪い、神を呪い、あるいは神の怒りに触れたと恐れおののいていくのだと思います。
実際、そのようにして、これまでに私達は、何度も繰り返し、生命を落としてきました。愛する家族も失ってきました。
形の世界を本物とするところから、どうして「天変地異は愛」などと思えるでしょうか。
願わくは、天変地異などに遭遇することなく、我が一生を平穏無事に過ごしていきたいと、誰しもが思っているはずです。
いくら、「天変地異は愛」と聞かされても、本音は、「天変地異に遭遇したくない」ということだと思います。

ところで、日本の国においても、様々な天変地異を想定して、色々な分野で研究は進められているし、過去のデーターをもとにして、あらゆる準備はなされているはずです。地域ごとの防災訓練も怠ることはないでしょう。
そして、どこかに災害が発生すれば、自衛隊もボランティア団体も駆けつけて、復旧に力を尽くしていますし、全国各地から、義援金や物資が届けられてきます。
もちろん、電気やガス、水道、道路の生活ラインの復旧もできるだけ速やかに行われていきます。その他、励ましの電話やメールもあるでしょうし、災害後の心のケアということについても、専門家達の協力があると思います。
そのようにして、まだ今は、人間にできることがあって、時間はかかるけれど、やがて、ほぼ元の状態に戻っていくことができる程度です。
しかし、そのような状態が、次から次へと、短い時間の中で、あちらでもこちらでも起こっていけば、どうなるのでしょうか。
救援を待っていても、なかなか思うようには来てくれないかもしれません。そのうちに、第二次、第三次被害が起こって、なす術もなく見殺しにしていく状態に追い込まれるかもしれません。もっと早くに救援の手が届いていたらという場合も、往々にして起こってくると思います。
また、ある地域、広範囲の地域が壊滅状態になって、一瞬のうちに死の町と化していく場合もあると思います。
確かに、日本の国は、戦後の悲惨な状況から見事に復興してきました。そして、時の流れとともに、日本国民皆中流意識から、今は、経済格差が著しくなってきています。富める者は富み、一方では生活困窮者の数もうなぎ上りです。さらに、その他、国の内外において、諸々の問題課題は山積しています。そのような現実の中ですが、一応は平和な時間を共有しています。
しかし、果たして、これから起こってくる天変地異により、この国の運命はいかなるものとなっていくのでしょうか。
戦後の廃墟から蘇ったように、これから、天変地異に幾度となく見舞われていく日本の国の再生はあるのでしょうか。
大変厳しいです。
それでも、その中においても、なお生き残った人達は、何とか生きていかなければなりません。
何もかも一気に失った状態で、心はもちろんズタズタです。平和ボケしてしまっている中で、何をどのようにしていけばいいのか。まさに、自分の地獄を、生きながらにして見ていくことになるでしょう。
悠長な心のケアなどで、ズタズタになった心の回復はできるはずがないといったところまで、心が落ち込んでいきます。
人間というものは、極限状態にまで自分を追い込んでいかない限り、自分と向き合うことはしません。
これまで、自分と向き合うことをせずに、神や仏や、宇宙のパワーなどと言って、目に見ない世界を自分の外に求めてきた愚かさを、今度こそ、極限状態の中で知っていくのでしょうか。
それが、天変地異と遭遇していくシナリオを、自分で書いた経緯です。
そうです。天変地異と遭遇するシナリオは、みんな自分で書いてきたものなのです。従って、天を呪い、神を恨んでも、どうなるものでもありませんでした。それが、これまでの私達には全く分からないことでした。

自分で書いたシナリオを自分で演じていく。すなわち、自作自演の舞台を通して、自分にメッセージを送ります。
「喜びに帰ろう。」
「温もりに帰ろう。」
そして、
「母なる宇宙に帰ってきなさい。」
という本当の自分からのメッセージを受け取っていきます。
偽物の自分にとっては、何一ついいことがない天変地異も、本当の自分と出会っていくために、必要な現象です。
天変地異から流れるエネルギーは、自分を目覚めさせる愛のエネルギーだと言えるのです。




天変地異。肉を本物とする思いの中では到底天変地異の現象は受け入れがたいものです。先ほどもありました。呪って、恨んで、悲しんで、落ち込んで、心がズタズタ。そういう状態になった私達でした。。その心の回復、どうすればその心を
喜びだった自分に、愛の中にあったとわかっていく自分にどのようにして回復できるのか、それを私達は今世、田池留吉氏という一人の人を通して、
心を見ていきなさい、母親の反省をしなさい。あなたは愛ですよと、いろんなところから教えていただきました。それをしっかりと
学びに触れたものの大きな仕事です。学びに触れたことを軽く軽く受け止めないでください。自分を蘇らせるか否か、大きな分かれ道にきています。

それではともに最後、瞑想をしていきたいと思います。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。

喜びに帰ろう。温もりに帰ろう。そして、母なる宇宙に帰ってきなさい。
あなたの中で思いを向けてみてください。
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2017年08月15日

第146回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



第2章 天変地異

1 幕開け

人類の幕開けです。これから二五〇年に至る時間の中で、それを存分に感じていってください。
地球上に誕生し、そして、数々のドラマを繰り広げてきた意識達の目覚めを、私達宇宙は待ち続けてまいりました。
私達は、どれだけの凄まじいエネルギーを流し続けても、きっと必ず蘇り、目覚めてくることを約束してきたのです。
約束してきたから、今、自分自身ここに肉体を持っています。
肉という形を持って、自分の培ってきた意識の世界を知っていくことが、それぞれの至上命令でした。自分に課してきたものでした。
だから、自分を自分で裏切り続けてきた過去からの自分と、心で対面できた意識は、大変幸せだと思います。
そして、そのようなことが、これから、それぞれの心の世界、意識の世界の中で、如実に知っていくような流れがあります。
どんなに形の世界が本物だと叫び続けても、それは悉く崩れ去っていきます。一瞬のうちに、自分の目の前から、すべてのものが消え去っていくことを体験していくのです。
地球上のどこに逃げても、隠れても、天変地異の流れは、避けて通れないものです。地球という星そのものの存続も危ういものになるかもしれません。そのような衝撃を、これから人類が受けてまいります。
今世を境にして、意識の流れがはっきりと形となって顕在化していきます。
「確かに、真実に目覚めさせる流れというものが存在する。」
そのことが形として示されていくのでしょう。
今世は、そういう意味において、人類の幕開けだと、私は思っています。


2 異次元より

形の世界を本物とする三次元の世界から、真実は何もお伝えすることはできません。
「意識が本物であり、自分の本質は意識、エネルギーである」とする次元より、語らせていただきます。
従って、あなたの頭、いわゆる頭脳では、到底理解できないことも、私は承知しています。承知しながら、伝えるべきことは、伝えなければならない。これもまた意識の流れの一端だと、私は思うからです。
さて、私は、本来「言葉はパワー」だと感じています。
パワーには、プラスもあればマイナスもあります。私は、もちろんプラスのパワーを、言葉に乗せて流しています。
ただし、ここで発する言葉を、プラスのパワーとして、それぞれの心で感じていただくためには、まず、それぞれが「自分の心を見る」という基本を、しっかりと積み重ねていくことが必要です。
いたずらに言葉だけをとらえて、言葉遊びに終わらせてほしくないと思います。ましてや、頭で理解しようとしても、絶対にできないことを知ってください。
今世、私は、自分の心の中で、確実な体験を経てきました。
それは、私の肉、すなわち私の頭を通過させただけのものではなく、その衝撃は、しっかりと、自分の心がとらえています。
当然、一つ一つの言葉にパワーがあると思います。それは、確実な心の体験に裏打ちされたところから発する言葉だからです。
ただし、そのことを感じていただくためには、それ相当の準備が、お互いに必要ですということも、同時にお伝えしてきたつもりです。
肉の次元で、言葉をとらえ、「そんなバカなことがあるはずがない」と一蹴するならば、その心の中を、どうぞ、見ていってくださいと、何度も何度も繰り返し語ってまいりました。
実践するか、しないかは、それぞれの問題です。
実践していって、素直に心を向けていけば、ここでお伝えしていることなど、いとも簡単に心で頷けることばかりだと思います。
なぜならば、「私はあなた、あなたは私、一つの世界」が、本当に私達が存在している世界だからです。
どうぞ、これから、あなたがどのように存在していくのか、ご自分で決断していってください。
しかし、その選択と決断は、すべて必ず、自分自身に返ってきます。
返ってきた結果を、また潔く、ご自分で受け止めていってください。
自分から逃げずに、責任を自分以外に転嫁せずに、堂々と自分と向き合っていってください。それが人として本来あるべき道だと、私は思っています。

ところで、私は、この今の肉だけが私ではないことを、自分の中で感じています。
今のこの肉は、大変大切な肉です。それは、自分自身が真実の自分と出会うために、どうしても肉というものが、必要だったからという意味において、大切な肉だと思っています。
肉を持たなくては、つまり、お母さんに産んでいただかなくては、どなたも真実の自分と出会うことはできませんでした。
まず、肉を持つこと、これが第一条件でした。私は、自分の今世を振り返り、自分の心を振り返り、そのことを痛感してまいりました。
確かに、三次元の世界からは、真実の世界は見えてこないのですが、しかし、三次元という次元を通過することは、私達には必要なことでした。
肉という形を持つことによって、自分の培ってきた意識の世界、つまり、自分のエネルギーを自分の中で確認することが、一番自分達には分かり易いことだったからです。
自分を知るために、この世的なことはありました。それらは、すべて、自分達が用意してきたことばかりです。
私達は、たった一つの真実の世界である「母なる宇宙」へ帰りたいために、全部自分達で予定してきたのです。
そして、最終的な手段として、天変地異というエネルギーにより、自分達に目覚めを起こしていく計画を立ててきたのです。
その底にある思いは、ただただひたすらに、
「真実の自分と出会いたい。」
「あの喜びの、そして、温もりの宇宙へ帰りたい。」
その思いだけでした。
思い出してください、その心を蘇らせてくださいと、私は、一足早く、このようにお伝えしているだけです。
人類は、これまで、それぞれの肉を纏い、それぞれが我一番の宇宙を、心に広げてきた結果、素直ということがどういうことなのか、全く分からなくなりました。
そこへ道徳や倫理や慣習、習慣、規律、規則、その他様々なもので、自分達を縛り付けて、殆ど自由の利かない状態の中にいます。
人としての幸せの道を大義名分にして、結局は自分達だけの幸せと繁栄を願い、追求してきたのです。それが、これまでの人類の歴史でした。

私達は、もともと自由です。しかし、生命と財産を守るための法律によって、本来の人間としてのあり方が大きく歪められていることは、間違いのない事実です。
そもそも、人と人が戦争をして殺し合う世の中など、おかしいのです。正義を掲げて、どうして人を殺すことなどできるのでしょうか。しかし、現実は、正義の名のもとに人殺しが、平然と行われています。
では、その正義とは一体何なのでしょうか。結局、人類はみんな真実を見失ってしまった状態です。そのような状態の人類にとって、
「起死回生を促すものは、もう天変地異しかない。」
そのことは、これからたくさんの人々が、自分の体験を通して、また周りの状況から、それぞれが口にすることだと思います。
自分達の間違いの根本に思いが届くためには、人類は、すべてを目の前から失っていくという過酷な場面に、遭遇する必要があるのでしょう。
「すべてを失くしても、なお存在し続けるものがある。」
そこのところに到達するまで、これから幾度となく、天変地異がこの地球上に起こってくるだろうと思います。




今晩から、「第二章 天変地異」という項目で、7つ挙げています。連日に渡って読ませていただきたいと思います。
天変地異。私達のこれからの行く手にある、大きな大きなドラマ。この天変地異は私達が織り成していくものです。私達のエネルギーが、自らを目覚めさせるために起こしていくエネルギーです。天変地異は神の怒りでもありません。天変地異は愛のエネルギーです。すべての形がことごとく崩れていく、そのようなエネルギーが、なぜ、喜びのエネルギーなのかと、肉基準ではどうしてもそこにとどまってしまいます。だから天変地異は恐怖です。忌み嫌うべきものです。しかし、私達は天変地異というこの現象を避けることはできません。これから250年、300年に至る時間、この地球上に起こってくる天変地異の数々、それぞれの心にしっかりと受け止めてまいりましょう。

それでは、最後にともに瞑想をしていきたいと思います。目を軽く閉じてください。丹田呼吸をしてください。

私達の心の底の底の底のずーっと奥底にある思いは、ただただひたすらに真実の自分と出会いたい、あの喜びの、そして、温もりの宇宙に帰りたい。その思いだけでした。思い出してください。その心を蘇らせてください。そのためには、自分の中の他力、肉を本物とする思いをしっかりと見ていかなければなりません。どうぞ、自分の心の中を、しっかりと見ていってください。
posted by UTAブック at 21:52| 大阪 ☁| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

第145回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



3 天変地異の足音

人にはそれぞれ、豊富な知識と、自らの体験をベースにした思いや考え方があると思います。一人の人間としての生き様も様々にあると思います。しかし、そのこととは別に、確実に私達の周りに変化が起こってきていることを、私はお伝えします。
今はまだそのことに気付いていない人達も、やがて、自分の目を通して、耳を通して、感じていかれることと思います。
一言で言えば、それは天変地異の足音です。
どんなに自分達を守ろうしても、根こそぎ崩れ去っていくことを、体験されていくでしょう。私は、その足音、気配をもう間近に感じています。

ここまで書いてきましたように、これから、宇宙というものが、私達に深く関わってきます。私達に大きな影響を与えていきます。宇宙は、決して非日常的なものではありません。

繰り返します。宇宙というのは、一言で言えば、波動の世界です。波動、すなわちエネルギーです。
エネルギーは仕事をします。母なる宇宙という真実の世界から流れる波動、エネルギーが起こす仕事とは何か。
それは「すべての意識達よ、目覚めなさい」という呼びかけ、揺さぶりです。
私達人類は、エネルギーです。エネルギーが肉という形を持って、この地球上に生存してまいりました。
そのエネルギーはどこから来るのか、その源とは何なのか、それを知るために、本当に数え切れない転生を繰り返してきたのです。
「自分の原点を知る。」
「自分の源を知る。」
それが今、宇宙という波動の世界に心を向けていくことで、自分の心で感じ、そして、それが信じられるまでに至ったということだと思います。

「私達は、永遠の過去から永遠の未来へと続く中に存在している意識、エネルギーである。」
ということを、まず、今世を皮切りに、そして、これからさらに、そのことを知っていく過程にあります。
その過程において、宇宙というものが大きく関わってくることを、ここにお伝えしたいと思います。
いよいよ、そして、さらにこの地球上に展開していく「天変地異の流れ」です。私は、嬉しくて仕方がありません。
なぜならば、私達が自らの間違いに気付いていくことができるように、自らをいざなっていることを感じるからです。
それは、自分達が「愛」そのものであることを物語っている動かぬ証拠です。私達自身が「愛」だからこそ、自らを誘導していくことができるのです。

私達は、過去からずっと、「母の心、母の温もり」を、心の中から葬り去ってきました。しかし、それは厳然として存在していたことを、自らの体験により気付いていく、そのような壮大な計画が用意されています。
一つの転生があれば、そこに様々な人生ドラマがあります。そうです、人生はドラマです。
しかし、ドラマをドラマとして見ることができずに、そのドラマに感情移入をして、結局は自分の人生の焦点をぼやかしてしまう結果となってきました。
ドラマはドラマであって、そのドラマに重点を置くのではなくて、ドラマを見ている自分の思い、心の世界を重視していくことが、人生の焦点でした。
その焦点が一つのポイントにしっかりと合ってくると、人生の本当の意味が分かり、人生は喜びであることも分かってきます。
天変地異もまた、人生の一つのドラマです。壮大なドラマです。
そのドラマから、何を見て取っていくのか。それをこれから、それぞれが学習していくのだろうと思います。
形の世界の中に留まっているところから、「自分を解き放していきなさい」。
その呼びかけ、揺さぶりを、これから、あなた自身は、どのようにとらえていくでしょうか。
「自分を解き放していこう。」
あなたの心は、そのように、反応していくでしょうか。
呼びかけや揺さぶりは、何度も続いていくと思います。自分を自分で解き放していくまで、それぞれの地獄は続いていくでしょう。地獄とはそういうことです。
従いまして、次章は、これから人類に目覚めを起こす天変地異を中心に構成していきます。
天変地異から流れる優しく力強い波動の世界を、どうぞ、感じていってください。
ただし、「母の心、母の温もり」を忘れ去った心の世界では、天変地異は恐怖以外の何物でもありません。
「宇宙を呪い、宇宙を憎み、宇宙に狂ってきた地獄から、必ず自分を解き放していこう」。どうぞ、今世、そのようにご決断ください。



この「母なる宇宙とともに」は「母なる宇宙とともに」のⅠ、「母なる宇宙とともに」のⅡを合本して、2012年4月に初版が発行されました。その少し前
2011年に「宇宙の風」という本も発行されています。「私達人間は、死んで終わりでしょうか」という副題がついた「宇宙の風」この本も今年、2017年来月ですね9月に増補復刻版ですかね、そういうふうにして、再び一冊の本として出版されます。当時は、宇宙ということにまだピンときていない人達もたくさんおられただろうと思います。今もピンとこない人もたくさんいると思います。ですが、宇宙という波動の世界、宇宙ということに思いを向けること、宇宙を思うこと、これは私達の源、私達の原点を知る上でとっても大切なことです。宇宙を心で感じられる。宇宙からのエネルギーを心に感じられる。宇宙が私達だった。宇宙は私達でした。私達の中に宇宙があったと自分の中で実感できることこそが、今、一番待たれています。
頭では絶対にわかりません。ただ、あなたの心はすべてを知っています。だから信じて信じて、自分の心を見るということを淡々としてまいりましょう。自分のエネルギー、自分の流してきた波動、エネルギーを心で感じていく毎日であってください。

それではともに瞑想をしていきたいと思います。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてみてください。

これから、宇宙という波動の世界が私達に大きな影響を与えてまいります。それは、自らが自らを誘導していくことなんですけども、その中で決して本当の自分を見失わないようにしてまいりましょう。それには、自分の中に母の心、母の温もりを蘇らせることが大切です。というかそれが必須条件です。
母の心、母の温もりに逆らって、逆らってきた私たち、その母の心、母の温もりを自分の中に蘇らせ、宇宙を呪い、宇宙を憎み、宇宙に狂ってきた地獄から、必ず、自分を解き放してまいりましょう。どうぞ、自分の中へ思いを向けてみてください。
posted by UTAブック at 21:35| 大阪 ☁| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

第144回「ともに瞑想を」 卑弥呼、悲哀から目覚めへ 第144回「ともに瞑想を」―卑弥呼 悲哀から目覚めへ-より



今回「ともに瞑想を」は、志摩からの特別編としまして、「卑弥呼 悲哀から目覚めへ」の一部を読まれ、その後ともに瞑想をしていきます。
読まれる箇所は「はじめに お母さんの中に帰ろう」と、「二 遠くに眺めている二上山は、何とも懐かしい山の姿でした。」、この二カ所を参考にお話をされ、瞑想していきます。最後の部分が途切れたような感じで終わっていますが、エラーではありません。塩川香世さんから「最後少し切れていますが、お母さんのほうに意識を向けてください」ということです。このようなメッセージが寄せられていますのでお伝えしておきます。




初めて今世の肉を通して伝えてくださったこと、しっかりとこれから250年300年、自分の中で広げて参りましょう。それでは、共に瞑想を、あなたの中のアマテラス、そして巫女の時の思い、しっかりと思いを向けてみてください。そして最後にお母さんのほうに意識を向けてください。
posted by UTAブック at 22:51| 大阪 ☁| Comment(0) | 卑弥呼 悲哀から目覚めへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする