2017年08月04日

第139回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



② 母親の存在を忘れ去りました

「私に肉体をください」、そう願って、その願い通りに、あなたは両親のDNAを受け継いだ細胞の一つ一つに支えられて、お母さんのお腹の中で、この世に出ることを喜びで待っていました。
お母さんの子宮の中で、お母さんの肉体細胞を通して、様々な影響を受けても、あなたは喜びいっぱいで、この世に出ていくその日を、今か今かと待っていたはずです。
しかし、たとえ、お母さんのお腹から出る前に、あるいは、出てからほんのしばらくして、その細胞達が動いてくれなくなったとしても、あなたは、きっと、「よかった、嬉しい、ありがとう」という思いを流すはずです。なぜならば、ほんのしばらくでも、お母さんのお腹にいたからです。安らいで何の不満もない、ただ喜びだけの時間と空間を、あなたは持ったからです。その時、あなたは、お母さんの温もりの中に包まれている自分自身を感じていました。母親の存在を、あなたは充分に感じることができたのです。
母親という存在が、自分を受け入れてくれた、この事実は、無事肉体をこの世に送り出すことができても、またできなくても、変わらずにありました。そのことを感じているあなたは、たとえ、この世に肉体を持って現れることはなくても、「お母さん、ありがとうございます」と告げて、お母さんのお腹から喜びで、姿を消していくのです。
産まれてくるはずの我が子を流産したり、また死産であったり、産まれてすぐに死んでしまったりして、嘆き悲しむのはむしろ、母親の側かもしれません。

私達は、このようにして、生まれてきたはずでしたが、生まれてくる意味も、母親の存在も、成長するにつれて、きれいさっぱり忘れていきます。それで自分の人生を生きていこうとしても、山あり谷ありの人生を自分の思う通りに、乗り切っていけるものではありません。
実は、山も谷も自分の計画でした。そして、どのように通過していくかも、自分で設定してきたはずでした。
しかし、肉体をもらうことを願ってきた思いを忘れ、自分で計画してきた環境だということも忘れ、
「私はこんなところに生まれてきたくなかった。」
「なぜ私を産んだのか。」
「なぜ私の母親は、あのような母親なのか。」
と、不足、不満の思いはみんな、目の前にいる母親を目掛けて攻撃していきます。
厳しい環境であればあるほど、攻撃の勢いは強いものです。
また、そうでなくて、例えば、人も羨むような恵まれた環境であっても、どこかに不足、不満を探し出しては、その思いを母親にぶつけていくのです。
そのようにして、どなたも、自分の目の前にいる母親に対して、自分の思いがストレートに飛び出ることを体験していきます。
「なぜ、母親には、自分の思いがストレートに出るのだろうか。」
不思議に思いませんか。
皆さん、小さな頃は、母親に対して、散々好き勝手なことを言ってきたのではありませんか。
しかし、母親は、甘えて、駄々をこねても、結局は自分を受け入れてくれたはずです。時には厳しかったり、叱られたりということもありますが、それも父親がそうするのとでは、どこかが違うことを感じていました。
それは、誰が教えるわけでもないけれど、みんなお母さんとはそういうものだと、心のどこかで知っているからだと思います。
そうです、へその緒が繋がっているのは母親です。
そして、へその緒を切ったその時から、母親の存在をみんな忘れ去っていくのだと思います。


③ 大人になり切れない大人

頭でっかちで、大人になり切れない大人が、うようよしていると思いませんか。
大人と一口に言っても、その定義が何であるのかということになりますが、要するに人間のレベルが低下している、幼稚だということでしょうか。
大人になり切れないというのは、子供のような無邪気さを残しているということではなくて、自己中心的で、身勝手で、自己主張には優れていても、その責任の所在をうやむやにしてしまう、そのような人だと思います。そのような人達が、会社で働き、また結婚して父親となり、母親となっていきます。
結果どうなるのか、それが今、日本の国一つを取り上げても、毎日毎日、世間を騒がせている事件、不祥事に現れてきていると思います。
たくさんの情報が溢れている世の中に、少子社会の流れが、どんどん大人になり切れない大人を量産していきます。身体と頭だけが成長し、心は未発達、まさにアンバランスの人間です。そのような人間が世の中に溢れていくのだと思います。
身体は、生活環境が豊かになり整ってくれば、自然に成長していきます。また頭のほうも、それなりに受験戦争をくぐり抜けてきていますから、鍛えられています。
しかし、心のほうはどうでしょうか。みんな心とは何かを知らないのではないでしょうか。

そもそも、心の世界は、宗教学者はもちろん、学問的なところから解き明かすことはできません。また、科学的な見地からも、心の世界を語ることなどできないのです。
確かに、単に嬉しい、悲しいなどという思いを語ることは、いくらでもできるでしょうし、心理学的に思いを分析することも可能かもしれません。しかし、思いを語っているからといって、心を語っていることにはならないし、その思いを分析して、それで心の世界というものが分かることにもなりません。
なぜならば、思いを語る人も、思いを分析する人も、心を形の世界から見ているからです。心は、心の世界にあることを、彼らは知らないのです。
結局、みんな心の世界を頭でとらえようとします。言葉、態度など形に表れているものに重点を置き、そこから心の世界を推し量り、または分析しようとします。
一応それで、一つの宗教書とか指導書とか呼ばれるものは、出来上がっていくと思います。この世に氾濫しているものは、その類のものです。
世の中は、今、その程度の情報を、いっぱい頭に詰め込んで、対処していこうとする風潮だと思います。しかも、周りには、大人になり切れていない大人がいっぱいです。
アンバランスな人間に、アンバランスな情報を与えて、よりいっそう世間を混乱させていく風潮のように思えて、仕方がありません。



それでは、今日も最後にともに瞑想をしていきたいと思います。
母親の存在を忘れて、忘れ去った私達、そして大人になりきれない大人がたくさんいるこの世の中。色々なことが形となって現象化していく。不思議でもなんでもありません。自分たちの愚かさを露呈していく、これから益々その様子が顕著になっていきます。
人間って本当に愚かだということですね。その人間がわからなくて、つまり自分自身がわからなくて、それでも、やっぱり幸せとか喜びとかをずっと求めてきた私達だったんですね。いま色々な環境のもとで生活をして、こうして学びに繋がって、田池先生から「本当のことはこうだよ」と伝えていただきました。そのことをもう一度、自分の中に戻して、本当に、真摯に、真剣に自分の人生を考えてください。考えてわかるものではないけれど、間違って存在し続けてきたんだなあということは、しっかりと自分の心の中で受け止めてまいりましょう。

それでは、そのまま軽く目を閉じて、あなたの中のお母さん、本当のお母さんの意識の世界。肉のお母さんではなくて、私たちにずっとずっと、温もりと優しさ、喜びを伝え続けてくれた、お母さんの意識の世界、波動を感じてみてください。
posted by UTAブック at 21:34| 大阪 ☁| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする