2017年08月19日

第150回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



7 人生は、自分の計画通りです

人生は、自分で立案して、自ら構想を練ったものです。その中に、自分に伝えたいメッセージを織り込んでいきます。
「本当の自分のために生きなさい。」
修飾部分を、全部取り去ってしまえば、そのメッセージが浮かび上がってきます。
「ああ、そうだったのか。そう思えば、あれもこれも、辻褄が合ってくる。」
自分の来し方を振り返り、そう感じる人も、これから多く出てくると思います。
その一方で、「私は、自分にこのようなシナリオを書くはずがない」と、どうしても納得できない人もまだまだ多いでしょう。
それは、「なぜ、苦しみ多い人生を、自ら選んでいくのか。自分で立案して、自ら構想を練るならば、もっと楽なものにするはずだ」ということなのだと思います。
何を喜びとして、何に幸せを感じるかによって、それぞれの人生も、とらえ方は分かれていきます。さらに言えば、自分を肉として見るか、意識の自分を中心にとらえていくかで、それぞれの生きる方向が決定されていきます。
結局、「苦しみ多い人生とは何でしょうか。楽な人生とは、一体何でしょうか。そのすべてが、形を中心にとらえているのではないでしょうか」ということだと思います。
自分を意識、心、エネルギーとして見ていけば、人生の中で起こることすべてが、自分を知っていくチャンスであり、苦しみも楽しみも、みんな喜びとなっていくと思います。

ところで、天変地異も、自分で書いたシナリオだと伝えました。
天変地異とは、一般的には、自然災害を指しますが、「ある日突然」という意味からすれば、どなたの人生の中にも、天変地異の一つ、二つは、用意されているかと思います。
本当は、それは、ある日突然ではなくて、そして、寝耳に水でもなくて、きちんと計算されて、起こるべくして起こってくる出来事なのでしょう。
どういう状況の中で、その出来事が引き出されていくのかは、私達の肉で推し量ることはできませんが、自分自身、その出来事によって、何かを考え、何かに気付いていくことを予定していることは、確かなことだと言えると思います。
ただ、心を見る、自分の中に思いを向けることを知らない状態では、気付きが喜びであり、喜びであるからこそ、その喜びが自分を解き放していくんだというところまでには、到底至らないと思います。
「自分が作ってきたちっぽけな枠の中から、飛び出していく喜びを、心から味わっていきましょう。」
その願いを込めて、それぞれの人生を用意してきたのではないでしょうか。
このことを理解するには、なかなか難しいとは思いますが、私自身は、「はい、その通りです」と答えます。
私は、ちっぽけな枠の中に押し込んできた自分自身に、申し訳なく思ってきました。
肉として生きることが、本当に愚かだということを感じる一方で、自分で立案し、構想を練ってきた人生というシナリオを通して、意識の世界の緻密さを感じてきました。
すごいなあと思わざるを得ませんでした。
自分が自分に与えた肉の時間を、どのようにして生きていくのかが、最大のポイントだと思います。
世間に流されて、無難に生きていく生き方が、自分が本当に切望してきた生き方なのでしょうか。
「逆流して生きよ」という意味ではなく、絶えず本来の自分に戻って、その自分の目線から、自分の存在、その他あらゆるものを見ていく姿勢が大事なのではないでしょうか。
その本来の自分の目線というものを、肉を携えている時間の中で、試行錯誤をしながら育んでいくべきなのだと思います。
だから、試行錯誤をする過程で、「ある日突然」の天変地異に遭遇して、その目線を変えるという計画が、それぞれにあるのだと思います。
目線を変えるということは、自分の人生観がガラリと変わることに繋がっていきます。
天変地異とは、それほどの衝撃を、自分にもたらすのです。

「ある日突然」の天変地異によって、自分は間違っていましたと心から思えるから、天変地異なのです。
気付きも何もなければ、形の上から見れば天変地異であっても、その人にとっては、実は天変地異になり得なかったということだと思います。
そして、その人の中に、今度こそ変わっていこうという思いがあれば、再び、天変地異のシナリオを予定していきます。
すべては、その人の意識の世界が計画していくものなのです。

さて、次章では、さらに母なる宇宙へ、ともに思いを向けて語らせていただきたいと思います。



ということで、ここ何日かで、第二章 天変地異、連続して1から7、読ませていただきました。
天変地異はエネルギー。温もりに帰ろう、喜びに帰ろう、母なる宇宙に帰ってきなさいというメッセージが自らにいざなう愛のエネルギーです。
天変地異はUFOも大きく関わっています。たくさんのたくさんの宇宙にさまようUFO達の意識を心にしっかりと受け止めて、しっかりと帰っていこうと伝え合うこと、愛の中で伝え合うことが私達には待ち望まれています。
たくさんのUFO達が飛来してきます。飛来というと形からは自分の外からという意味ですが、外からという風に聞こえますが、そうではなく自分の中、
意識の世界のお話です。それもこれも自分の心をみて、しっかりと田池留吉、アルバートのほうに、母なる宇宙のほうに心の針を向けるということを日々真摯な思いで継続していくこと、そのことを通して、自分の心で感じわかってくることだと思います。目に見えない意識の世界、真実の波動は頭ではもちろん理解できません。自分の心で感じていく以外にありません。自分の心で感じたもの信じていく、そしてその結果をまた受けていく、そこからまた自分の歩みを田池留吉、アルバートの方向に、半歩、一歩、前に前に歩みを進めていく、という喜び、幸せ、その道をともに歩いてまいりましょう。

それでは最後にともに瞑想をしてまいりたいと思います。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
天変地異は私達の心の中に起こってくる大きな大きなエネルギーです。そのエネルギーの中で、私達は一体自分に何を伝えるのでしょうか。何を伝えられるのでしょうか。

どうぞ、その思い、そのエネルギー、しっかりと自分の心で受け止められるような、あなたであってください。
母なる宇宙が待っています。私たちの心のふるさと、母なる宇宙、愛の中へ戻ってまいりましょう。
それでは、愛、心のふるさと、母なる宇宙へ、心を向けてみてください。
posted by UTAブック at 21:24| 大阪 ☀| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第149回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-




6 手立ては一つ

人類には、
「自分を自分で救う。」
「自分に本当のことを伝える。」
その手立てしか残されていません。
自分で自分を救えない人々(意識)は、永遠に地獄です。救えないというのは、自分に本当のことが伝えられない状態を言います。
自分の本当の姿が分からない、自分が何者なのかが分からないから、自分に本当のことが伝えられないのです。
肉を纏っている間、どんなに栄耀栄華を極めようとも、自分が何者かが分からない状態では、その人は、現に地獄にいるのです。
肉というものを持っているから、そして、その世界に酔いしれているから、自分自身は麻痺した状態なのです。肉を外した時、その麻痺状態も薄くなっていくので、はっきりと自分の今いる場を感じてきます。
肉を持っている間は鈍感な心も、死んでしまえば、たちまち敏感になっていきます。
そうすれば、一気に重苦しさが自分自身を覆い尽くす結果となって、もう身動き一つとれない固まった状態になっていきます。ただ苦しくて、がんじがらめの自分自身がたくさんあって、その中で、もがき苦しんでいる自分の姿を、はっきりと知るのです。それが紛れもなく、自分自身だったことを感じます。真実を見失った意識は、そのような状態です。
自分を救うことをしなければ、生きても地獄、死んでも地獄です。ただ肉を持っているか、持っていないかの違いだけです。
そして、悲しいことに、肉を持つことによって、その苦しい心を紛らわせていく手段は、山ほどあるのです。だから、殆どの人が、肉を持っている間、自分の本当の苦しみなど分かるはずがないのです。
現に、自分が苦しいと訴えている人でさえ、本当の苦しみに出会っている人は稀です。なぜならば、殆どの人が、自分の心を見ることを知らないからです。
ただ、苦しい、苦しいと助けを求めているか、そこから逃げようとするばかりです。その状態から助けを求めようとも、どこかへ逃げ込もうとしても、どうなるものでもないことが、全く分からないのです。

私には、恐怖心を煽り立てるような思いはありません。きちんと自分の心を見ていけば、そういう状態の自分自身であったことが、鮮明に心に浮かび上がってきて、だからこそ、今、肉がある間というのが、自分自身にとって、どれほどありがたいことなのか。お母さんに産んでいただいたことが、どれだけの愛であったのか。そのようなことが、心にどんどん響いてくるはずです。
はっきりと、自分の成すべきことが見えてきます。
苦しんできたのは、紛れもなく自分自身であり、その自分が、今、救いを求めていることを感じます。その声は、日ごとに大きくなっていくでしょう。
しかし、愚かな肉は、相変わらず、肉の幸せと喜びに奔走する毎日を送り続け、そして、やがて自分の死を迎えるのです。その周期がこれから、少しずつ短くなっていくと思います。自らに警笛を鳴らし続け、内外から、天変地異を呼び起こしていくのだと思います。それほどの切羽詰った状態です。実は、もう限界ぎりぎりのところです。
その切迫した思い、気配を、まだあなたは感じられないでしょうか。
しかし、何も焦ることはありません。浮き足立つこともありません。ゆったりとして、淡々として、自分の心を見ることだけは、日々怠らずに続けていけば、いざという時も、そして、これから起こってくる様々な現象も、真正面から受け止めていけるのではないでしょうか。

自分にとって、自分を見失うことが、一番大変で、一番苦しいことです。ただ、殆どの人は、自分を見失うどころか、自分というものを全く知らない状態です。そのような状態で、ある日突然、天変地異の波をもろにかぶっていけば、どうなるのでしょうか。
おそらく、その波の渦の中に飲み込まれて、肉の命は言うまでもなく、自分自身の意識の世界もまた、これまでと同じように、渦の彼方に遠く飲み込まれていくのでしょう。
これからは、その瞬間に、心の針を合わす勉強をされる人も出てくると思いますが、いずれにしても、「自分で自分を救う」、そして、「自分に本当のことを伝える」チャンスは、すべてに公平に用意されてきましたし、これからも、もちろん、そうなのです。
いつ、そのチャンスを活かすことができるのか。あるいは、永遠に地獄の奥底で苦しみ続けていくのか。その選択を自分でしなさいというのが、本当の世界の真実であると、私は伝えます。



真実の世界は非常に厳しいです。真実だからこそ、厳しいです。厳しいですけども優しいんですね。その優しいということを本当に感じられれば、いいと思いますけど、ただ、厳しいだけではなく優しいということです。優しいというのは真実だからです。しっかりと力強いいざない、それは厳しさであり、優しさであると私は感じています。
自分で自分を救う、自分に本当のことを伝えるチャンス。そのチャンスをいつやってくるかはわかりません。そのチャンスを逃さないようにするには、やはり日々の鍛錬というか、心の針の向け先をいつも確認している、いつも田池留吉を思っている、そういうことが日常的でなければ、あ、あ、と言っている間にやはり濁流の中に飲み込まれていく、流されていく、沈んでいく、そういうことではないでしょうか。

では、今日も最後にともに瞑想をさせていただきます。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
あなたの死後を思ってください。
posted by UTAブック at 02:02| 大阪 ☀| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする