2017年09月01日

第154回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



4 田池留吉の宇宙は、母なる宇宙でした

ここからは、僭越ながら、私自身が心で感じている田池留吉の宇宙について、今現在の時点で語らせていただきたいと思います。
もちろん、そのすべてを心でとらえているということではありませんが、しかし、私は田池留吉の宇宙、つまり、母なる宇宙を、心でとらえているという点につきましては、間違いはないと思っています。

ところで、田池留吉の宇宙を語ろうとすれば、話は、自分自身が培ってきた宇宙、すなわちエネルギーを確認するところから、入っていかなければならないでしょう。
そこで、これまでに、セミナーの中で行われてきた、いわゆる「闇出し現象」に、少し言及させていただきます。

第1章の「1 母の心と宇宙」で書きました通り、私は、田池留吉の宇宙に、真っ向から戦いを挑んできました。
それが私のこれまでの意識の世界だったことを、私は、セミナーを通して、学んでまいりました。
特に、今から遡って、十二、三年前より、自分の中の宇宙が、田池留吉という肉を通して広がっていく意識の世界に、猛反発していることを、はっきりと確認してきたのです。
そして、その確認のために、また、自分の中の宇宙を変えていくために、私は、今世肉をいただいたことも、はっきりと知りました。
もちろん、それは、「母なる宇宙、私のふるさと」へ帰ろうとする強い意志が、私の中に息づいていたからでした。
しかし、最初から、田池留吉氏から発せられる波動の世界が、私の待ち望んでいたものだと、私の中で、合致することは難しいことでした。
母なる宇宙へ帰りたいとする私の強い思いと裏腹に、田池留吉の宇宙を認めることは、私にとって容易なことではありませんでした。
それは、私の中に、君臨してきたという思いがあったからです。
田池留吉の宇宙を認めるということは、自分の敗北に繋がっていくことは必至だと思ってきました。それは、戦って、戦って、戦い抜いて、勝利を収めたほうが、宇宙を我が物にしていくことを繰り返してきた意識の世界に、私自身ずっと存在してきたからです。
私が過去存在してきた世界は、「目には目を、歯には歯を」の世界であり、力には力を持って制する世界でした。それこそ、パワーがすべての世界でした。
そのような意識を背景にして、私は、今世、母に産んでいただきました。
そして、予定通りに、私は田池留吉氏と出会えました。セミナー会場という絶好の場で、私達は出会いを持ちました。
私の中の思いは、おそらく喜び勇んでいたと思いますが、如何せん、肉を纏った私は、自分の肉の厚さに、時には閉口し、時には歯がゆい思いを出しながら、時を過ごしてきました。
なかなか中の思いが、肉を突き破って、ストレートに出るということにはなりませんでした。肉の殻が厚いと落ち込んだ時もありましたが、そのうちに、「いや、違う、私自身、入念に準備を整えている」と、思えるようになったのです。
中から、マグマのように噴き上がってくるエネルギーを、自分自身で受け止めるには、それ相当の準備が必要であることを、肉は知らずとも、中は知っていたのでしょう。その準備に必要な時間が、充分に用意されてきました。

やがて、ある時期より、私の中のエネルギーは、田池留吉氏を目がけて、次から次へと飛び出していきました。
ひとたび飛び出たエネルギーは、留まるところを知らないかのように、どんどん向かっていきました。
どんなに、田池留吉氏の指一本で、ひっくり返ろうが、私は、「なにくそ」の思いで怯むことなく、田池留吉氏に戦いの刃を突き刺していきました。
ある時など、セミナー会場で、私の母が、やはり、田池留吉氏の指一本で、ひっくり返って起き上がることもままならない様子に、私は、思わず母に向かって、叫んでいたそうです。
「お前、何やってるのか。何と情けない。何で手も足も出ない。」
「あいつに、かかっていけ。」
あまりにも、不甲斐ない母の姿に、私は、苛立ちの思いを投げつけていたということを、後日、母から聞かされました。
そのような、セミナーの中での「闇出し現象」を経て、私は、自分が培ってきた世界を知っていきました。それと同時に、田池留吉氏の意識の世界も、段々と心で知っていくようになったのです。
最初、私は、田池留吉氏の意識も戦いのエネルギーで応戦してくると思っていました。私は、そう思い込んでいました。ところが、そうではありませんでした。
それどころか、爪を研ぎ、牙を剥き、相手を見据えて、罵詈雑言を吐いても、全く歯が立たないではありませんか。
私には、それが悔しくて腹立たしくてたまりませんでした。
「何で、どうして、こんな世界があるのか。」
「どうして戦ってこない、なぜ平然としている。」
「何で……、何で……、何で……。」
田池留吉氏という肉を通して感じるものに、自分の力が萎えていく感覚を何度となく味わってきました。それは、自分自身が、何か大きなものに吸収されていっているような感じでした。包まれていると表現してもいいでしょう。
まず、不思議でした。私は、戦いのエネルギーを剥き出しにしているのに、何で、相手は応戦してこないのか、不思議でした。
それどころか、
「私はあなたを待っていました。ずっと待っていましたよ。」
「あなたが、どんなに私に向かってこようとも、私はあなたを愛しています。」
との思いが返ってくるではありませんか。
私には、そんなものは到底信じられないことでした。
「くそったれ、お前の化けの皮をはいでやる。お前なんか大嫌いだ、お前を殺してやる、お前なんか、死にさらせ。」
と、ありったけの罵声を浴びせかけました。心からどんどんその思いが上がってきました。すごい目をしていたと思います。
それでも、田池留吉氏は、ただ黙って、しかし、その懐から流れ出すものは、まさしく母の思いそのものだったことに、私は戸惑いを隠すことができませんでした。
黙ったまま、突っ立っている田池留吉氏から響いてくる世界が、私の意識の世界奥深くに、どんどんと伝わってくるのを何度も感じていきました。
そして、その思いが、厚かった肉の殻をさらに突き破り、肉でない私の世界をずっと広げていきました。
このようにして、肉を纏いながら、肉を外した自分自身と向き合えば向き合うほど、田池留吉氏の世界が心に染み渡ってきました。

以上、昔懐かしさで、セミナーの現象の時間を一部、振り返りましたが、この辺で、また母なる宇宙へ話を戻します。

このような心の体験を経て、私は、田池留吉の宇宙と、母なる宇宙が、ピタリと一致することを、ようやくにして知っていったのです。
それに連れて、私の中が、段々と変化していることが分かりました。
まず、冷ややかで、すべてを見透かされていると思って、大嫌いだった田池留吉氏の目を、真っ直ぐに見ることができるようになりました。見れば見るほど、万感胸に迫ってきました。
「ああ、私は、自分を否定してきました。自分を足蹴にしてきました。」
母なる宇宙からの呼びかけに、自分自身が拒否していたに過ぎなかったことを知りました。懺悔でした。
「母なる宇宙に戻ってきなさい。」
「はい。」
心の世界での短いやり取りで、私の歩むべき道は、確実にその姿を現していったと思います。やっと、心から「はい」と言える私になっていきました。
それは、理屈ではありませんでした。私は、「母の心、母の温もり」を本当に、この心に感じたからです。
宇宙、その心、その思い、そのエネルギー、それは、どれだけの間違いを自分自身繰り返してきたかを、はっきりと示してくれました。
母なる宇宙への思い、そして、母なる宇宙からの思い、それらが、今世ようやくにして、自分の中で出会いを実現できたのです。
出会いがあったから、私の中は、どんどん変わっていきました。
肉というものは、どんなに立派に取り繕っていても、肉は肉に過ぎないことが、鮮明に感じられ、肉や肉の生活とのお付き合いをどの程度にしていくのか、自然に自分の中で調節していくようになりました。こだわらない、つかまない、入れ込まない。しかし、肉は肉として、それなりに楽しむ術を心得るようになりました。
形の世界には、私が望んできた幸せも喜びも絶対にないことを、確認する日々でした。
そして、「人は、必ず帰っていく」ことも知りました。
真実を見失ってしまった人類も、やがては自分の帰るべきところを、必ず自分で見つけ出すことを感じます。
確かに、今はまだ私達人類は愚劣ですが、その愚劣な姿を、容赦なく自分の目の前にさらけ出していくことを、私達は選んでいるのです。
それは、自分の中に、本当の自分に帰ろうとする思いが現存しているからだと、私は思っています。

母なる宇宙というものは、まだ殆どの人の心には響いてこない波動の世界のことかもしれません。しかし、現に今、その波動の世界は実在することを、私は伝えています。
本当の意識の世界に目覚めた証に、これからそれぞれの心に蓄えてきたエネルギーが、どんどんと噴き出してきて、それが忽ちのうちに、形となって現れてきます。そういう形を通して、意識の目覚めが、それぞれの心に浸透していくのだと思います。
それが、いわゆる、意識の流れです。
意識の流れがあるから、私達の心にある膿が、具体的な形となって現れ、私達の心に戻していくのです。
これまで、私達は、その膿が形となったものをどのように処理していくかに、頭を使ってきました。それでは、さらに濃厚な膿を作り出すことにしかならないのです。
そうではなくて、戻ってきた膿そのものを、心で見つめていくことを自らに促していくのです。もちろん、形を通して、心は様々な衝撃を受けます。半狂乱になるとか、心が壊れてしまうとか、色々な表現はありますが、人間の心は、そのような柔なものではありません。ガラス細工のような繊細な心の持ち主が、肉を持って生まれてくるはずがないのです。みんな、本当に凄まじいエネルギーを心に溜め込んできたことを、じっくりと知らなければならないでしょう。
奇麗事では済まされません。心の中の膿、闇の部分が、抉り出されていきます。
母なる宇宙の波動が、そのように誘っていくからです。




ガラス細工のような、繊細な心の持ち主が、肉を持って生まれてくるはずがないのです。みんな本当に、凄まじいエネルギーを、心に溜め込んできたことを、じっくりと知らなければならないでしょう。真っ黒、真っ黒、真っ黒、真っ黒、真っ黒だから生まれてきた。その自分の真っ黒を、本当に心から待っている、本当の自分に心を向けてみてください。


posted by UTAブック at 22:03| 大阪 ☁| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする