2017年07月27日

第135回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



1 母の心と宇宙

それでは、具体的に話を進めていきます。

今ここに、大阪府在住の一人の老人がいます。御年八十六歳。名前は田池留吉と言います。三十年近く前に大阪府立高等学校の校長職を退かれて以来、日本各地で数多くのセミナーを開催してこられました。セミナーの中で、「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマを、私達に示してくれた方です。
「日々の生活の中で、自分の心を見る」という実践を通して、そのテーマが、それぞれの心で感じ分かっていける方向に学んでくださいと、セミナーに集ってくる人達に、熱く語ってこられました。
このように説明すれば、一般的には、田池留吉という方は、セミナーに集ってくる人達にとって、師であり指導者であり、もっと宗教的な表現をすれば、教祖という立場となるでしょうか。そして、誰しもがその方から教えを乞いたいから、セミナーに集ってくるというのが、常識的なとらえ方だと思います。
しかし、このセミナーにおいては、そのような世の中の常識と大きくかけ離れた部分が露わになってくるんです。
その状態は、確かに形の上からは、常識を大きく逸脱しているかのように見えますが、先にあった「日々の生活の中で自分の心を見る」という実践を重ねていけば、きっとどなたもご自分の心で納得されるはずです。
それはどういうことなのかと言いますと、自分は、田池留吉氏から教えを乞うという柔な思いで、セミナーに集ってきたのではなくて、田池留吉を殺しに生まれてきて、そして、セミナーに集ってきたんだということが、自分の心でつぶさに感じてくるということなんです。
もちろん、自分の今抱えている悩み、苦しみを何とかしてほしいという他力信仰の続きで、セミナーに集って来られる方も少なくはないでしょう。
しかし、そういう方達は、ある程度時間が経ってくると、このセミナーでは自分達の思うような回答が得られないということで、いつしかその姿は消えていきます。そしてまた、あちらの宗教、こちらの宗教と、尋ね歩くんです。
結局のところ、田池留吉氏を、よくある宗教団体の教祖様、指導者という感じでとらえ、セミナーに集って来られただけの話です。つまり、その方達はセミナーに集ってきた動機が全く間違っていたんです。
動機の間違いは、もちろん、この他にもあります。
実は、その修正をしないで、セミナーに集い続けていても、それはセミナーに、そして、田池留吉氏にぶら下がっているだけで、田池留吉氏が示すところの「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマに沿った学びの成就は難しいことは確かなことなんですが、ここでその点を語ると、話がそれていきますので、一応、ここで話を戻します。

先の「自分は田池留吉氏から教えを乞うという柔な思いではなくて、田池留吉を殺しに生まれてきて、そして、セミナーに集ってきたということ」は、どういうことなのか、全く訳が分からないと言われる方もおられるでしょう。
その通りなんです。それは、あなたの頭では絶対に分からないことなんです。けれども、それは、段々にあなたの心で分かってきます。
その心の体験を、あなたもどうぞしてみてくださいということで、田池留吉氏は、文字通りその身体を張って、二十年余りの年月をかけて、誠心誠意、セミナーを開催し続けてくれました。
私自身、セミナーに参加させていただいて二十年です。その年月の中で、私は、田池留吉氏が伝えてくれた「私達人間は意識である、エネルギーである」ということを、自分の心で実証してきました。
それは、セミナー会場での実体験と、それと並行して起こった自分の身の周りの出来事の両面から、学ばせていただいたというわけです。

ところで、今、「自分は田池留吉を殺しに生まれてきた」と申しましたが、それは何も田池留吉氏を殺しに生まれてきたということではありません。それでは単なる殺人行為です。
私の本意は、この一文を通して、誰一人例外なく、私達の心、すなわち私達の意識の世界には、凄まじいエネルギーが渦巻いていることを、できるだけたくさんの人達に、自分の心で知っていただきたいというところにあります。
それは、そうしないと、私達のたった一つのふるさとである「母なる宇宙」に帰り着くことが叶わないからです。
まず、どなたも無知とエゴと欲で作り続けてきた凄まじいエネルギーで覆い尽くされている自分の現実を、心で知っていくことから始めなければならないんです。
しかしながら、それは、実は、おいそれとはできないことでもあります。だから、そのお手伝いということで、田池留吉氏がいました。セミナーの開催がありました。
自分の心を見て、そして、セミナーに参加していけば、私達はみんな、田池留吉氏という一人の人間を通して、自分の培ってきた、無知とエゴと欲の凄まじいエネルギーを、つぶさに感じていくことができるということでした。
それが、田池留吉氏が、今世、二十数年の長い年月を費やして、セミナーを開催してくれた大きな理由です。
もちろん、そのエネルギーは、あなた自身の心で感じられればお分かりになると思いますが、すべてを破壊していくエネルギーです。
そんなエネルギーを心に抱え、私達は日々の生活を送っています。
そんなエネルギーを心に抱え、人類は、政治、経済、文化、教育等々、あらゆる分野で、日夜奮闘しているのです。

そうです。先の「自分は、田池留吉を殺しに生まれてきた」という訳の分からない一文は、すべてを破壊していくエネルギーを抱えて生まれてきたのが自分達だという意味なんです。それを具体的に言えば、次のような感じです。田池留吉氏という一人の人間をセミナー会場で目にしたとき、私の心から噴き上がってくるもの、つまりエネルギーを言葉で表現すれば、こういうふうになります。

「ぶっ殺してやる、お前なんか消え失せろ、お前は目障りだ。」
「雑魚ども、どけ、あいつを殺すのは私だ、誰の力も要らぬ、田池、お前を殺してやる。」
「何が田池留吉の宇宙だ、何をぬかすか、ちゃんちゃらおかしいわ、我の宇宙こそ素晴らしい、我のパワーのほうが大きい、田池、死ね。」

断っておきますが、私と田池留吉氏の間に、現実的に何のトラブルもありませんでした。また、私が田池留吉氏から何か被害を被ったとか、そんなことも一切ありませんでした。
しかし、セミナー会場で氏の姿を見るとか、声を聞くとかすれば、私の心の中から、このような思いが噴き上がってくるのを、私は何度も体験させていただきました。
しかも、こういう体験は私一人だけではなく、セミナーに集ってきた多くの人達は、これまでに何度も同様の体験をされています。
この現象は、ある意味、とても不思議な現象だと思いませんか。
田池留吉氏と私にしても、あるいは田池留吉氏と誰それにしても、殆どみんな、セミナーを通して関わりあってきただけなのに、なぜ、その姿を見ただけで、声を聞いただけで、心から、それも、おぞましい真っ黒な思いが、突如として噴き出してくるのでしょうか。
私は、最初、不思議と驚きばかりでした。
しかし、やがて、その不思議と驚きの現象も、「私の地獄の釜の蓋が、今世開きました」と理解させていただくことで、不思議でも驚きでも何でもなくなりました。
確かにその現象は、田池留吉という一人の人間により、私の地獄の釜の蓋が大きく開き、白日のもとに引きずり出された衝撃を私に与えました。
最初、それが、私には悔しくて腹立たしくてたまりませんでした。まさに、腸が煮えくり返るほどの悔しさだけが、心の底から噴き上がってきたのでした。
しかし、今思えば、それが私の母なる宇宙へ帰る軌跡の始まりだったのです。



という、私は、心の体験ですね。そういうことをセミナー会場でこれまで数え切れないほどさせていただきました。田池留吉の目を見る瞑想、田池留吉の指差し、田池留吉の異語、もうそれは、本当に私にとってかけがえのない宝物となっています。
今は田池留吉という肉は目の前にありませんが、それでもセミナー会場でみなさんとともに瞑想するとかそういう時には、田池留吉の意識の世界、アルバートの意識の世界、波動の世界とともに、セミナーが遂行されているという感覚があります。その感覚を持って、私達は肉なき田池留吉の世界とともに、ともに歩んでいくんだという思いを強く持っています。

それでは今日もともに瞑想をさせていただきます。軽く目を閉じてください。
「田池殺してやる」。あなたの中でそう叫んでいるそのあなたに、あなたは出会っていますでしょうか?


posted by UTAブック at 22:00| 大阪 ☀| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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