2017年08月08日

第141回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



⑤ 自分の亡骸

自分が死んだあと、自分の亡骸をどのようにしてほしいですか。盛大に弔ってほしいですか。手厚く葬ってほしいですか。祭壇の前で、最後のお別れを言ってほしいですか。そして、いつまでも自分のことを記憶に残しておいてほしいですか。
肉体細胞達の役目が終了する時、肉体細胞に「ありがとう」の思いを流しながら、その肉体から思いを離していったあとには、肉体という物体が残ります。私は、亡骸というのは、残骸に過ぎないと思っています。思いの抜けた残骸です。
その残骸の主は、すっと肉体から抜け出して、依然として生きているのです。私は、このような状態が、人間本来の姿だと感じています。
つまり、私達の本当の姿は意識であり、肉体が不必要になれば、いつまでもその肉体に留まっていないことを感じています。
しかし、大抵の人は、その肉体にしがみついているのです。それは、その人がその肉体を自分だと思い込んでしまっているからです。
肉体の消滅とともに、自分というものは消滅すると思っています。
だから、手厚く葬ってほしい、高僧名僧の導きで、あの世に行きたいと本気で思っているのです。そして、命日には、在りし日の自分を思い出してくださいと願うのです。
私は、自分の肉体細胞が活動している間に、その細胞達から優しい温かい思いを感じさせていただいています。
そして、その細胞達が、いよいよ「さようなら」を告げる時、私達は互いに、「ありがとうございました」と思いを通じ合えると信じています。
「さようなら、ありがとうございました」とお別れを告げ、すっとその肉体から離れていくことができるだろうと感じています。
私は亡骸とともにあるのではありません。亡骸はそこにあっても、私は意識として現存している。それが私自身だと感じているのです。
そのような心の状態ですので、肉体から思いを離したあとは、その亡骸を処分していただくだけです。そのお手数をおかけするだけだと思っています。その処分には、何ほどのお金も要らないと考えています。
人が死んだ後々まで、別れを惜しんで、ずっと悲しみを引きずっていくのは、情が深くて優しい人だからでしょうか。それでは情が深くて優しいとはどういうことでしょうか。
肉体がある間、互いに互いの心を見させてくれましたという思いから、ある一定の時間は、感慨深いものがあると思いますが、それは寂しい悲しい思いではなくて、喜びでその人を思う、そういうことだと思います。
その人の在りし日を思うならば、喜びで思ってください。


⑥ 転生

「人はなぜ生まれてくるのか、なぜ死んでいくのか」、それは難しい課題でした。
しかし、永遠の今を感じる心には、それらがすべて喜びの出来事であることが分かります。
生まれてくることも、死んでいくことも、みんな自分自身に目覚めていくためだったからです。
自分自身に目覚めるということは、大変な作業です。
生まれてくることも、死んでいくことも、苦しみだと思い続けてきたのは、その大変さを物語っていると思います。
だから、過去の修行者達は、転生輪廻から解脱することを考えたのです。転生とは苦しみ、その苦しみから解脱することが幸せへの道だと信じて、己の煩悩を滅却することに勤しんでいたと思います。それは、とんでもない思い違いであり、全くの無知でしかありません。
しかし、そのことは意識の転回を始めなければ、分からないことです。いくら厳しい修行を重ねても、意識の転回が自分の中で始まらない限り、永遠に地獄なのです。
ましてや、日々の生活に四苦八苦している中では、自分達の生活を守ることで、手一杯です。その中で何とか幸せに、豊かに、実りある時間をと、それぞれ懸命に生きているようですが、それがやがて音をなして崩れていく時が、やってくると言っているのです。
過去の時代においても、そうだったはずです。いつの時代においても、天変地異は付きものです。しかし、意識の転回をやってこなかった私達は、いつも呪いと恨みの中で、死んでいったのです。
そして、その意識の世界は、もちろんそのままで、また生まれてくるのだから、生も死も苦しみ、いつの間にかそれが定着してしまいました。
その中で、守ろうとします。死守します。肉にしがみつく思い、その執着はすごいものです。全部、周りに責任を転嫁していきます。事実、過去において、そうしてきました。
しかし、誰を恨んでも、何を呪っても、結局は自分自身が真っ暗な奥底に沈んでいっただけでした。そして、その真っ暗な奥底から、何度も何度も這い上がっていこうとするけれど、恨みの心や呪いの心で、また自らを沈めてきたのです。
優雅で華やかな時代に生まれてきても、意識の世界は真っ暗でした。一国を治める権力者であっても、路傍にひっそりと暮らす一介の民であっても、意識の世界はみんな真っ暗でした。
そして、真っ暗同士が近しい関係を持って、互いの真っ暗を見せ合うのが転生の数々でした。
おびただしいほどの人間ドラマを心に持ち、それでもまた生まれてくるのです。何度も何度も、自分を目覚めさせるチャンスをもらってくるのです。
世の中には、転生を信じている人も多くおられることでしょう。しかし、その人達もまた、それぞれの転生が、実は連結したものであることに、まだ気付けていないと思います。意識の転回をしないで、存在しているからです。



意識の転回。肉から意識へ。自分の本当の姿を心で感じる。真っ暗な奥底から、何度もなんども這い上がっていこうとしたけれど、意識の転回は到底できませんでした。それほど、肉という思いが心にこびりつき、自分を苦しめ、地獄の奥底に落としていった大きな唯一の原因です。肉が自分でない、意識が自分だ、私達はエネルギーだ。目に見えない存在なんだ。頭でなく心で感じ始めること。意識の転回が始まっていくこと。これが待たれています。どんなに真理を追究しようとも、意識の転回を始めなければ何も変わりはありません。肉の中で自分を地獄に落としていくだけの循環、その循環をいつどこで変えていくか。そしてそれには正しい瞑想をする以外に方法はありません。お母さんの反省をしてゼロ歳の瞑想をして自分というものを知って、自分の流してきたエネルギーを知って、そして、自分の中の愛に帰ろうと、本気で真剣に思えるような道筋、その道筋を自分の中で見つけ出していくこと、意識の転回をし始めることが自分を蘇らせることに繋がっていきます。

それでは軽く目を閉じて、ともに瞑想をしてまいりましょう。
心の中に、お母さんは存在します。母の意識は存在します。温もりの中に、喜びの中に、愛の中へ戻ってきなさい、帰ってきなさい。たくさんの母の意識に、どうぞ、その思いに、心を向けてみてください。


posted by UTAブック at 21:32| 大阪 ☁| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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