2017年08月10日

第143回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-



⑨ 絆

夫婦の絆、あるいは家族の絆は、何によって結びついているのでしょうか。絆とは、絶つことができない人と人の結びつきを言いますが、それも今では、あまりにも簡単に容易く切れてしまうのではないでしょうか。そうは思いたくはありませんが、案外もろいかもしれません。
夫婦バラバラ、家族バラバラ、そのような人達が、一つ屋根の下で生活をしている。互いが互いを干渉せずに、勝手気ままに自分達の生活空間を楽しんでいる。そういう夫婦や親子の形態が今風なのかもしれません。
そのような夫婦、家族の中に、例えば、ポーンと小石を投げ込んだとしてみましょう。
投げ込まれた小石の波紋は、そこにいる人達の心を刺激していきます。普段はバラバラでも、それを境に足並みを揃えようとする場合もあるし、余計に距離が開き、バラバラの状態がさらに進んでいく場合もあります。
小石が投げ入れられて、なぜこの夫なのか、妻なのか、なぜこの家族なのか、と改めて考える時があると思います。
答えなど出なくていいのかもしれません。出せなくていいのかもしれません。考える、思うだけでいいのかもしれません。
この夫があっての私、この妻があっての自分、私にはこんなにいい家族がいるではないか。小石が投げ入れられて、そう思えるならば、「小石さん、ありがとう」となりませんか。
「その小石とは何か」、「小石を投げ入れられて起こる波紋とは何だろうか」、夫から、妻から、家族から、その繋がりを通して、自分の人生を考え、今があることに幸せや喜びを感じていくことができたなら、その人は、一歩前進だと思います。
そのようにして、人は何かに気付いていくようになっています。
だから、今回、小石で気付けないなら、次はもう少し大きな石になり、その次はと続いていくと思います。
そして、やがて、そのような中で、この夫がいてくれたから、この妻が、この家族がいてくれたから、という思いが、いつの間にか薄くなって、もっと深い絆を感じていくかもしれません。
「夫、妻、家族というものではない、自分とのもっと深い、絶つことができない結びつきがあるのではないか。」
そう感じ始めてくるかもしれません。


⑩ 一度きりの人生

「泣いて暮らしても一生、笑って暮らしても一生、同じ一生なら楽しく明るく豊かに暮らしていきましょう」、それも一理はあると思います。
しかし、表面だけを取り繕って、楽しく明るく豊かに暮らしても、それはいずれ剥げてきます。楽しく明るく豊かに暮らす中身の問題です。
一体何があれば、楽しく明るく豊かに暮らしていくことができるのでしょうか。
一度きりの人生だから、楽しまなくては損ですか。一度きりの人生だから、一生懸命生きていこうとしているのですか。それとも、一度きりの人生だから、刹那的に生きていきますか。
とりあえず、まあ頑張ってみようか、とりあえず今はこうしておこう、そうして、とりあえず毎日が過ぎ去っていくのかもしれません。

自分を繋いできたことを確認できた私は、人生というのは、プツンプツンと途切れているのではなくて、連続しているものだと思っています。
それが私の出発点です。
この出発点に立って、今の人生の時間を見てみれば、過去から未来へと続いていく私の時間の中の、一部分にしか過ぎないことが感じられます。
全体を視野に入れながら、ある一部分をとらえる場合と、その部分しかとらえていない場合とでは、当然その一部分に対する思いが違ってきます。
前者は、なるほど今世の時間は、全体から見れば一部分に過ぎないけれども、その一部分が、すなわち全体であって、一部分の変化は全体に影響を及ぼしていくことを感じます。
後者は、まさに人生一度きりの基準に立った見方です。部分だけをつかまえて、奮闘していくか、ただ流されていく人生だと思います。
永遠に続いていく自分の時間というふうに思うと、今という時の過ごし方もまた違ってくると思います。
一度、過去からの自分を思い、未来の自分に思いを馳せてみませんか。そして、今の自分を思ってみてください。
確かに、今ある生活は大切でしょう。自分や自分の周りにいる人達は大切な人かもしれません。
しかし、もっと何か、もっと広い自分の世界があることを感じられないでしょうか。
「自分をもっと待っていてくれるものがあるのではないか。」
「自分をもっと必要として待ってくれているものがあるのではないか。」
そういうものを感じませんか。
もっとも、一度きりの人生だと思っている人には、それは難しいことかもしれません。その人の思いの世界は、そこでストップするからです。
その人は今、自分が、行き止まりの狭い世界にいることを知りません。
考えてもみてください。
どんなに華やいだ時間であっても、その時間というものは、八十年そこそこでしょう。しかし、私は、永遠の時間を感じているのです。
そういうことを感じている人と、感じていない人との差は大きいものがあります。
そして、一度きりの人生だと思って、本当に自分を大切にして生きているのか、と言えば、決してそうではありません。自分に無責任だから、一度きりの人生だと思うのです。
一度きりの人生だと思っている人に、自分を大切にすることはできないと、私は思っていますが、あなた自身、どのように思っておられるでしょうか。

以上、10個の項目について、思いを語らせていただきました。
あなたも、これらの項目について、思いや感じているところをまとめてみませんか。そして、綴っていく中で、一つ注目していただきたいことがあります。
あなたの基準です。
なぜ自分はそのように思うのか。何かそう思い、感じていく基となるものがそれぞれにあるはずです。
何を思い、どう感じていくかということも大切ですが、同時に、なぜそう思うのかということに、もっとスポットを当てていただけたらと思います。



何日かかけて、10個のテーマの部分を読ませていただきました。
ぜひ、今もありましたように、これらの項目について思いや感じているところをあなたもまとめてみてください。そして、あなたの基準を確認してください。
そう思う、感じていく基準、なぜそう思うのかというところに中心を置いて自分の思いを振り返ってみてください。

私は明日から志摩へ行きます。志摩のセミナーを迎えます。そこでも2時間ですけど、みなさんとともに田池留吉、アルバートを思う瞑想、宇宙を思う瞑想、アマテラスの中にあった私達の苦しみ辛さ、いろいろなこともありますが、ですが、私たちの帰る母なる宇宙を思う瞑想、そういう瞑想をしっかりとできるように、今の自分の使ってきた心、出してきたエネルギーをしっかりと見ていくような、そんな時間にしていこうと思っています。

それでは軽く目を閉じてみてください。
今語りましたアマテラス。私たちの中のアマテラス、待っています。本当に待っているんです。アマテラスの目覚めを、どなたの心にも芽生えさせてください。今世はそういう時間なんです。だから、だから、この学びに触れたんです。そのことをしっかりと、心に留めおいて、田池留吉アルバートを心の中にしっかりと呼んでみてください。


posted by UTAブック at 22:04| 大阪 ☁| Comment(0) | 母なる宇宙とともに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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