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6 手立ては一つ
人類には、
「自分を自分で救う。」
「自分に本当のことを伝える。」
その手立てしか残されていません。
自分で自分を救えない人々(意識)は、永遠に地獄です。救えないというのは、自分に本当のことが伝えられない状態を言います。
自分の本当の姿が分からない、自分が何者なのかが分からないから、自分に本当のことが伝えられないのです。
肉を纏っている間、どんなに栄耀栄華を極めようとも、自分が何者かが分からない状態では、その人は、現に地獄にいるのです。
肉というものを持っているから、そして、その世界に酔いしれているから、自分自身は麻痺した状態なのです。肉を外した時、その麻痺状態も薄くなっていくので、はっきりと自分の今いる場を感じてきます。
肉を持っている間は鈍感な心も、死んでしまえば、たちまち敏感になっていきます。
そうすれば、一気に重苦しさが自分自身を覆い尽くす結果となって、もう身動き一つとれない固まった状態になっていきます。ただ苦しくて、がんじがらめの自分自身がたくさんあって、その中で、もがき苦しんでいる自分の姿を、はっきりと知るのです。それが紛れもなく、自分自身だったことを感じます。真実を見失った意識は、そのような状態です。
自分を救うことをしなければ、生きても地獄、死んでも地獄です。ただ肉を持っているか、持っていないかの違いだけです。
そして、悲しいことに、肉を持つことによって、その苦しい心を紛らわせていく手段は、山ほどあるのです。だから、殆どの人が、肉を持っている間、自分の本当の苦しみなど分かるはずがないのです。
現に、自分が苦しいと訴えている人でさえ、本当の苦しみに出会っている人は稀です。なぜならば、殆どの人が、自分の心を見ることを知らないからです。
ただ、苦しい、苦しいと助けを求めているか、そこから逃げようとするばかりです。その状態から助けを求めようとも、どこかへ逃げ込もうとしても、どうなるものでもないことが、全く分からないのです。
私には、恐怖心を煽り立てるような思いはありません。きちんと自分の心を見ていけば、そういう状態の自分自身であったことが、鮮明に心に浮かび上がってきて、だからこそ、今、肉がある間というのが、自分自身にとって、どれほどありがたいことなのか。お母さんに産んでいただいたことが、どれだけの愛であったのか。そのようなことが、心にどんどん響いてくるはずです。
はっきりと、自分の成すべきことが見えてきます。
苦しんできたのは、紛れもなく自分自身であり、その自分が、今、救いを求めていることを感じます。その声は、日ごとに大きくなっていくでしょう。
しかし、愚かな肉は、相変わらず、肉の幸せと喜びに奔走する毎日を送り続け、そして、やがて自分の死を迎えるのです。その周期がこれから、少しずつ短くなっていくと思います。自らに警笛を鳴らし続け、内外から、天変地異を呼び起こしていくのだと思います。それほどの切羽詰った状態です。実は、もう限界ぎりぎりのところです。
その切迫した思い、気配を、まだあなたは感じられないでしょうか。
しかし、何も焦ることはありません。浮き足立つこともありません。ゆったりとして、淡々として、自分の心を見ることだけは、日々怠らずに続けていけば、いざという時も、そして、これから起こってくる様々な現象も、真正面から受け止めていけるのではないでしょうか。
自分にとって、自分を見失うことが、一番大変で、一番苦しいことです。ただ、殆どの人は、自分を見失うどころか、自分というものを全く知らない状態です。そのような状態で、ある日突然、天変地異の波をもろにかぶっていけば、どうなるのでしょうか。
おそらく、その波の渦の中に飲み込まれて、肉の命は言うまでもなく、自分自身の意識の世界もまた、これまでと同じように、渦の彼方に遠く飲み込まれていくのでしょう。
これからは、その瞬間に、心の針を合わす勉強をされる人も出てくると思いますが、いずれにしても、「自分で自分を救う」、そして、「自分に本当のことを伝える」チャンスは、すべてに公平に用意されてきましたし、これからも、もちろん、そうなのです。
いつ、そのチャンスを活かすことができるのか。あるいは、永遠に地獄の奥底で苦しみ続けていくのか。その選択を自分でしなさいというのが、本当の世界の真実であると、私は伝えます。
◇
真実の世界は非常に厳しいです。真実だからこそ、厳しいです。厳しいですけども優しいんですね。その優しいということを本当に感じられれば、いいと思いますけど、ただ、厳しいだけではなく優しいということです。優しいというのは真実だからです。しっかりと力強いいざない、それは厳しさであり、優しさであると私は感じています。
自分で自分を救う、自分に本当のことを伝えるチャンス。そのチャンスをいつやってくるかはわかりません。そのチャンスを逃さないようにするには、やはり日々の鍛錬というか、心の針の向け先をいつも確認している、いつも田池留吉を思っている、そういうことが日常的でなければ、あ、あ、と言っている間にやはり濁流の中に飲み込まれていく、流されていく、沈んでいく、そういうことではないでしょうか。
では、今日も最後にともに瞑想をさせていただきます。軽く目を閉じてください。丹田呼吸をしてください。
あなたの死後を思ってください。